「水町君にね、言われたんだけどさ」
「はい?」
「何で未だに『筧君』と『先輩』呼びなの?って」
「………」
「やっぱり不思議に思えるのかねえ」
「………」
「…名前で呼ばれたい?」

そこで初めて動揺したように筧の表情が動いた。少し怒ったような、焦っているような、…照れているような。目元が少し赤くなっているから照れてるのではないかとは勝手に思った。アメフトという体育会系バリバリの部活をやっているのに筧の肌はそこまで黒くない。なので、赤くなるとそれなりに解る。
時折自分よりも年上に見える。でも、やっぱり年下の男の子だなあと思うときもある。精神年齢は低いと言われる男子だけれど、筧はそこそこ実年齢通りなのではないだろうか。しかしアメリカに居たと思えない初心っぷりを見れるときは、自分の胸の奥できゅうと何かが締め付けられる。ある意味苦しいが、ほかほかと温かいので辛い苦しさではなかった。

「別、に。その、…先輩の呼びやすいようにという、か。慣れてるので構わないんで」
「そう?」
「…俺も、その。先輩って言ったほうが呼びやすいっていうか…。先輩は先輩だし」

視線は下方を向いているが、右に行ったり左に行ったりしている。口元はへの字だった。怒っているわけでも拗ねているわけでもなく、動揺している。
目元の赤みは随分広がってきていた。多分水町が見たらからかう程度に。
そんな筧を見ながらは「そう?」とまた同じ返事をした。筧の視線が、に合わせないまま止まる。から見て左側斜め下を見つめたあと、ちらりという表現が似合うようにその視線をに合わせた。何かを伺う子どものようだった。目元はやはり赤いまま。

「もう、この呼び方に慣れちまったし、結構呼びやすいんで直ぐには…無理ですけど。でも、」

そこで一回止まる。口は開いたままだけれど、言葉が出てこなかった。
恥ずかしい。けれど、ずっと言いたかったこの呼び方。

「…徐々に、慣れていくん、で。…、先輩」

言われるのが解っていたのに、やはり直接言われるとは少し目を大きくして驚いてしまった。これは中々、…恥ずかしい、かも。
今まで名字に先輩呼びだったので、名前で呼ばれるだけでも何故だかくすぐったく感じる。友人にも呼ばれることは多いのに、目の前の彼氏から言われるだけでこの威力。自分の顔は筧に劣らず赤いのだろうと、この熱量で感じる。
恥ずかしいと、思う。くすぐったいような気も、する。…それでも、嬉しいと感じる。

「…うん…。私も、努力します。…駿君」

と同じで、やっぱり直接言われるのは驚いたらしい。一瞬だけ目が開いて赤みが無くなった。その直ぐ後に、今度は耳まで真っ赤にして駿はさっきよりも少しだけ俯いた。特別なはずなのに、呼ぼうと思えば誰だってその特別で呼ぶことができる。けれども自分達の周りは名字で呼ぶ人が多い。そのせいか彼氏彼女になってもあまり違和感はなかった。だって皆と一緒の呼び方だから。
でも。…こうやって呼ばれるのは、悪くない。寧ろ良いと思える。
一拍。二拍。そのまた後に、駿はようやっと息を吐き出しながら「はい」と、受け答えをした。



11/11/11
先輩って、呼びやすい呼称だと思いませんでしょうか。
筧君は特にアメリカ行ってたくせに真面目な子なので、先輩彼女にもきちんとした呼び方をいっつもしてそうです。
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