人を好きになること

生涯ここまで好きになる男が居るだろうか、そう思う男から教えてもらったことがある。



久しぶりに仕事が一段落つき、はほっと肩の力を抜いていた。
流石に体力的にきつかったが、暇で何もせずにぼーっとしてる方が苦痛に感じられる性分だったので嵐さえ過ぎれば忙しかったな、程度の認識だった。来たら打つ、それだけを繰り返してると言っても過言ではなかった。仕事に毒されてるとも言える。そんな自分も別に嫌いじゃないからどうでも良かった。

そうして早めの帰途に着き、今日は燕青も帰ってくる日だということを思い出した。

「…しょうがない夕食でも作るか」

少しだけ溜め息をつきながら、でも嫌そうな顔はせずには台所に立った。保存が利く食べ物しかなかったが、充分だろう。
暫く家にも帰らない日が続いたので、燕青はどうやって過ごしていたんだろうと少しだけ疑問を持つ。まああの男は殺しても死ななそうだから別段そこまで心配はしてなかった。自分と結婚するまでは一人で…いや他人に多大な迷惑はかけていたがそれなりに生きてきた人間だ。心配するだけ損だろう。そこで心配したらそれはそれで燕青の何かを傷つけるようなことだとは思った。

しかし今日はいつ帰ってくるか解らないからどうしようかと思案する。もしも何か有って帰ってこなかったら作った分が無駄になってしまう。けれども久しぶりに自分が帰ってきたのだ、帰ってくるのならそれなりの物を出して迎えたい。燕青だって疲れてるだろうし、やはり体力がつくような質と量を作るとなると結構な材料が必要になってくる。もしも帰ってこなかったときを考えると何とも作り難い。さて、どうしようか。

「…いや、考えても仕方ないな」

帰ってこなかったら後でグチグチ文句を言って全力で謝らせれば良いか、はそう思って台所で菜を作り始めた。

しかしここまで自分があの男に毒されるとはなあと今更ながらには思う。男に興味が沸かず、仕事ばかりだった自分が、しかもあんなお気楽能天気であの男自身もやっぱり仕事馬鹿だと言うような男に、まさか本当にここまで惚れ込むとは、そう思う。末期だ。
自分だって疲れてるのに燕青のために菜を作っているのだ。ある意味奇跡だ。多分昔の自分を知っている人間は幻覚ではないかと目を見張るだろう。それはそれで何かムカつくとは思うが今までの自分の行動からしてしょうがないだろうとも思った。
何処がそんなに良かったのか聞かれたら多分首を捻りながら答えを出せず戸惑う自信が有った。
仕事馬鹿で自分よりも大切にしている(ように見える)女も居て、ろくに文も出さず冗談のように睦言を吐く。そのクセ一番大事な所では愛を囁くことも少ない。
…何で自分は燕青に惚れたのだろう、改めてそう思った。何でだ。もっと良い男他に居なかったのか。そう思っても好きになった後ではしょうがなかった。少し見誤ったかもしれないと人知れずは思う。ただ、時折それを覆すくらい燕青が自分を喜ばしてくれるので、それで勘定が合うのかもしれない。

まあ、燕青に教えてもらったことが有るから、それだけでも差し引き零以上だな、とは苦笑した。
帰ってきたとき、驚いた顔をした後笑顔になるだろう燕青の顔を想像して、苦笑した顔が微笑に変わった。もしも帰ってきたら、やはり笑顔になってほしい。だから、今日は疲れてるけれどちょっと頑張ってみるか、そう思った。



「ただいまーって、うわ、すげ」

帰ってきた燕青が、やっぱり驚いて笑顔になったのを見て、は普段全く見せない優しい微笑みを見せた。



08/12/05
誰かを好きになれるのはとても幸せだと思います。
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