泣き虫だったお嫁さん

幼い頃の約束。





子どもらしい高い声が響く。声は高いのに存外強い口調だった。
碧珀明はこの頃から珀明らしかった。

!泣くな!」

高い声が響く。は珀明のその声が嫌いじゃなかった。ただ、強い口調でいつも責められているような感覚があって凄く好きと言うわけでもなかった。
それでも不思議と怖いと思ったことは何故か無かった。

「うぇええ、いたい~…」
「転んだお前がわるいんだろ…!泣くな!」
「いたいー」
「……」

人の話を聞いているのかこいつは。
まだ小さい珀明は困った。大人を呼んで来ようにもが泣きっぱなしで離れられない。
一人にしておくのも心配だった。が泣きっぱなしなのは、何故だか嫌だった。笑っていてほしい。

「泣くなよ…、……大人をよんでくるから、」
「やだ、やだーっ」
「お前…」

どうしたら良いんだと珀明は思う。大人を呼んでくるのが一番良いのは解っているがにこう言われたら動けなかった。

「…そんな泣き虫は、碧家の嫁になんかなれないぞ…!」
「…ぅ、え…?」
「僕のお、お嫁さんに、なるんだろ…!」
「ぅん、」
「泣き虫はお嫁さんになれないんだぞ!」

嘘八百だった。でも珀明はが何故か信じるだろうと思っていた。

「なれないの…?」
「…なれない!僕は、そんなやつお嫁さんにしない」
「ふぇ…」
「だ、だから泣くなよ!泣かなかったら僕の、お嫁さんになれるんだから!」
「うー…」

我慢しているようだった。痛いけど珀明のお嫁さんになりたい。
珀明に嫌われるのは嫌だった。

が僕のおよめさんになったら、父上や母上のようにいっしょにいられるんだな』

ちょっと昔の記憶。そう言われて凄く嬉しかった。珀明のお嫁さんになりたいと思った。
珀明のお嫁さんになれば、ずっと珀明と一緒に居られるのだ。両親と同じように、仲良く一緒に、居られるのだ。

「が、がまんする…」

そうが言うと珀明はホッとして笑顔になった。オロオロしてたのが嘘のようだった。

「あんまり、泣かないから、珀明のおよめさんにしてね…?」
「………、泣かなかったら、な」

泣いてばっかりだったらお嫁さんになんかしないからな、と続ける。
心の中ではそんなこと微塵も思っても居ないのに、口に出てくる。でもが泣くのは嫌だから、しょうがないと思った。



、何をボーっとしているんだ」
「…珀明」

椅子に座りながら何処か遠くを見ていたを不審に思って珀明は声をかける。
時折こうやってぼうっとするのだから少し困る。何か有ったのかと思ってしまう。

「間抜けなアホ面だぞ」
「悪かったわね。…昔を思い出してただけよ」
「…ああ、泣き虫だった昔か」
「そうよ、珀明がひたすら『僕のお嫁さんになりたかったら』って言ってたあの頃よ」
「………」

言われた瞬間何故だか珀明は負けた、と思った。今回はの勝ちだった。
そういう事を言われると恥ずかしくなる。言ってたことは事実だし実際結婚してしまった。

「泣かなかったらお嫁さんになれるんだ、ってずっと頑張ってたのよ」
「…そのくせ求婚してきた男と結婚しようか悩んでたしな」
「珀明が覚えてたとは思わなかったもの」
「こっちは忘れてたんだと思って冷や冷やした」
「…、それは申し訳ないわね」

でも勝手に国試を受けに行って官吏になって忙しくしていたのだから、もうそんな約束無かったことなんだろうと思うのは当たり前だと思った。珀明は変な所言葉が足りない。そのくせ悪口と言うか、激励は一言も二言も多いのだ。何とも難儀な性格だなあと思う。

「でも珀明が来てくれて良かった。来なかったら本当に別の人のお嫁さんだったわ。頑張って泣くの我慢してたのに」
「…、全くだ」
「そうよねえ。今思えば珀明の所に相談でも何でも行けば良かったんだわ。本当あの時珀明来なかったら今この家に居なかったのよね」

はしみじみと溜め息をつく。つきたいのはこっちの方だと珀明は思った。こっちは随分焦ったと言うのに何でこんなおっとりしているんだろうと思う。
終わり良ければ全て良しのの性格なのでもうしょうがないかと心の中で溜め息をついた。

「…僕が行かなかったら、親の七光りに嫁いで、嫌々一緒に居ながら子ども産んで育ててたんだろうな」
「うわあー…それは考えたくないなあ」
「…」

考えたこと無かったのか、こいつは。いよいよ天を仰ぎたくなった。寧ろ何故自分はこんな能天気な奴を嫁にしたのだろう。
子どもの頃からずっとお嫁さんにするのはだけだと決めていた。そのせいで他の女なんか眼中に入ってこなかった。先ずそこからして駄目だったように思う。いや良いことなのだろうが、駄目なことでも有る気がする。からしたら浮気の心配は無い旦那だが珀明からしたら時折盲目的過ぎて自分自身が謎に感じてる程だった。擦り込み現象と言うのは怖いと思う。
それでも後悔したことはない。をお嫁さんにすると言ったことも、嫁になれと言ったことも、今一緒に居ることにも何ら後悔は無かった。呆れることは沢山有ったが。

「でも良いのよ別に。今、珀明と一緒になってこうやって生活してるんだもの」

がにこやかにそう言う。

「親の七光りでも何でもない立派な吏部官吏の貴方に嫁いで、好きで一緒に居ながら子ども産むんだもの。それが今だわ」

言葉にするのは簡単だがとても幸せなことだなあとは思う。お腹を撫でながら微笑む。
珀明は幸せそうに自分の腹を撫でるを見つめて口に弧を描いた。朝廷に居る時は仕事にひたすら追われているが邸に帰れば直ぐに癒される。のアホ面を見て呆れても癒されるのだ。多分コレでが邸に居なかったら不機嫌絶好調だ。疲れなんか飛ぶわけもなく、ずっと苛々していそうな気がした。簡単に想像出来るから少し泣けてくる。何だかんだでアホ面でも能天気でも自分の妻が一番可愛くて愛おしい。

「…何で僕の考えてることと同じことをお前も考えてるんだろうな…」
「幼馴染ですから。しかも初恋同士。もう離れられないんじゃないのかしら」
「離す気も無いがな」
「上等だわ」



09/01/01
妊娠ネタが…好きなんです…。すみませ…。
時代設定とか無いですが多分この珀明は下官よりも上だと思う。出世街道を珀明らしく走ってると思う。
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