リク:彩雲国・珀明・恋文

とんでもない浮気の証拠を見つけてしまった。

「えっ…えー…嘘だー……」

勢いで口に出てしまった。いやいやいや、えっ嘘でしょあの珀明が?あの珀明が?思わず二度も思ってしまう。
あんまり愛情表現と言うものをしない夫ではあるが、愛されてる自覚は多分にある。とっても愛されている。自他ともに認められるほどだ。子どもの頃からの愛情でありちょっと捻じれるくらい愛されてると自負している。むしろ周りに美女も多かったろうに自分をずっと好きでいたのは中々に見る目が…ないと言うか…いやそこは置いておこう。
そんな珀明の浮気の証拠を見つけてしまったわけである。いやいやいや、……いやいやいや、いやいやいや。そんな馬鹿な。いやでもこれは紛れもなく浮気ではないだろうか。

甘ったるい言葉が書いてある文である。珀明の室にそれは置いてあった。
仕事を持ち帰ってくることもあるので基本的にあまり私物は触らないのだが、彼は几帳面なので仕事部屋はきちんと室を用意してそこに持って帰って来た仕事の書簡などを置いている。
これは、共用の、机に置いてあったものだった。

「どこからどう見ても逢引のお誘いの文だし、恋文だし、……うわー……」

声を出さねばやってられない。大きな大きなひとり言が勝手に出てくる。相手の名前は書いてないが、『愛しい人』、手紙の中でそう書いてある。
愛が何度も綴られているその文は、とても衝撃的だった。珀明は教養も才もあるのに自分に対してそういうことは言ってこない。子どもの頃からの付き合いだから気恥ずかしいのだと思っていたのだ。自分だってそうだ。今更言わないでも良いとさえ思っていた。結婚してすることはしているのだが、ここまで明確な愛の言葉というものはあまり貰ったことがない。それこそ記念日というものでくらいだ。
逢引をしたことがないわけでもない。けれどもこんな風に誘われたことはない。
…浮気か。浮気だろう。こんなにも、あの人に愛された女性が自分ではなく他にいるのだ。…えっいるのか、自分以外に愛されてる人が。そんな馬鹿なと信じられない疑問と、まさか珀明がという気持ちと、…ああ自分はもう一番ではないのか、という何とも言い難い感情が渦巻く。

(私にだって、こんな文、くれたことないのに)

決定的過ぎる。顔も名前も知らない女性と比較して、どう見たって自分の負けである。珀明からの愛情を疑ったことなど一度もないが、こんな物を見て自分が一番だとは到底思えない。
愛人や妾がいるなんてよくあることだ。特に珀明はあの碧家である。いないほうがむしろ珍しいのかもしれない。にしたって、…ああまさか、自分の愛情がまだこんなにも彼に向かっているのに、彼はそうではないなんて。

泣きそうだ。でも泣いたら負けだとも思った。何と戦っているのかすら解らないが、泣いたらいけないと、珀明の嫁としての矜持がそう告げた。
何もなかったように手紙は元に戻して、知らないフリをするために全ての気持ちに蓋をした。


***


その日の珀明は定時で帰って来た。何とも珍しいことである。珍しすぎてやっぱり見つけた文は“そういう”ことだったのだろうとは思った。思った瞬間胸がまた痛んだが何とか押し込む。文のことなど気づいてないよう、珀明に他の人ができたことを知らぬよう、自分がこんなにも悲しい気持ちを出さぬよう、全てにまた蓋をして何ともないように努めた。どうにか普通にできていれば良いなと、の口元は歪む。
気づいたら手紙は回収されていたようだ。その様子を見たかったのか、見れなくて良かったのかは解らなかった。

いつもよりも少し早く夕餉をつつき、せっせと妻として仕事をする。明日もいつも通り仕事だ。つつがなく出仕させねばならぬ。問い詰めてやりたい気持ちもあれど、そんなみっともない真似をするのも気が引ける。
帰宅してから珀明が少しソワソワしてるのが疑念への拍車をかける。もしかしたらこの後外に出かけるのかもしれない。湯あみの用意をしてはいるが、もしも外に出るなら一人で泣こうと既に考えている。
珀明は珍しく仕事もせずにソワソワしっぱなしである。行くならば早く行けば良いのにとは、思っても言えなかった。

「……
「なあに」
「へ、返事は」
「……?」

夕餉の食器を片付けながら、謎の疑問をかけられる。何の返事だろうか。

「何の話?」
「な、え、み、見てないのか?」
「ええ……だから何?」
「て、手紙を、見ただろう」
「……、…………ん?」
「見ただろう!元に戻してはあったが、開けただろう?へ、返事はないのか?」

おや?とそりゃ思う。いやいや、あんな甘ったるい手紙、この人が?

「え?」
「これを、見ただろう!?見てないなら、……も、もう一度」
「えっ」

懐から出されたのは朝見た手紙だ。「えっ」としかは呟けなかった。そんな馬鹿な。こんな甘すぎるほどに甘い手紙を、この人が?自分に?自分にか?珀明が?そんな馬鹿な。

「これ妾の人にじゃないの?」
「……は?」
「(まずい失敗した)」

失言したのはハッキリ解った。珀明の言動は物言いが厳しく、時には怒っているように聞こえたりもするが、それが素なだけで別に何とも思っていないことが多い。だが今のは、完璧に怒らせた。
いやだが、いやいや、頭が付いていかないこちらとしては困っているのだ。何だこの状況。

「いやごめん、ちょっと待って。机に置いてあった文は、私宛で良いの?」
「ああ。……中を、見ていないのか」
「み、た…見たけど、……いや、……あれ私宛なの……?」
「っ…、そう書いただろうが……!」

つまりは文に書いてあった『愛しい人』は自分なのか。はそれが解った瞬間勢いよく床にうずくまった。

「!? は、え、?」
「……わ、私宛なの……?」
「…お前以外に誰がいるんだ。…というか何故うずくまる…」

うるさい、珀明が勘違いさせるようなこと書くからだ、と心の中で絶叫したが声にならなかった。
愛しい人は、自分なのか。そんな馬鹿な。この人にそんな風に思われていたのか。好かれていることは結婚する前から解っていたが、まさかそんな風に想われているとは、思ってもみなかった。そんな風に言われたことはないからだ。幼馴染と呼べるこの男と、閨を共にしてもそんな言葉を貰ったことはなかった。よく考えたら自分だってそんな風に言葉にしたことはないし、恋文だって書いたことはない。
この人に、そんな風に想われていたのか。

「……読んではいるんだな?」
「…………」
「何か言え」
「……無理……」
「何でだ……。……妾なんて、僕は作る気ないぞ」
「……」

気が抜けたのか涙腺が緩くなってしまった。鼻を軽くすすった音が、聞こえてしまったかもしれない。何ともないように振る舞おうとしていたのに、結局自分はこんなにも珀明のことが好きだと思い知った。
自分の膝に顔をうずめていたら、珀明が頭を撫でてくる。そのまま髪の毛を梳かれて、また少しだけ涙が出た。

「私宛なの…」
「ああ」
「逢引のお誘い……?」
「そうだよ」
「…そっかあ…」
「……そうだよ」

嬉しい、と呟けば珀明に無理矢理顔を持ち上げられて、口付けられた。


20/06/26
珀明は文じゃないと素直になれなさそう。
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