逝きかた

死に方なんて死んでみないと解らない

自分が死ぬとしたら、独りきり。
剣を握り血を流して、自分ではない誰かに殺される。ある日常の中、唐突に自分の命が終わるのである。自分で終わらすわけでもなく、期限が来るわけでもなく、他人の決定で自分の命が終わる。
そうやって自分は他人の命を奪ってきたし、それがまかり通ってきた。だから、別に他の誰かが自分の命を取りに来ても文句を言うつもりはなかった。そういうことをされるようなことはしてきたし、そのせいで誰かに恨まれてもしょうがないと思っていた。
自分が死ぬとしたら、多分独りきり。戦場だろうと王宮だろうと、ただ殺されて終わるのだろうと、そう決め付けていた。

「ずっと戦いの中で死ぬんだとばかりに思ってたんだがなあ」

宋隼凱はそうぽつりと呟いた。声にあまり覇気はないが、年の割りにしっかりとした口調だった。
それには受け答える。悲しいながらも少し微笑みながら。

「今上陛下の、劉輝様の治世が良かったということでしょう」
「…ああ、まあ、な」

玉座に就いてから戦をしなかった王。今もそれは変わらない。それで良いと思っている。そのために自分たちが血みどろになりながらも戦った。子どもたちや孫の世代でまた同じようなことを繰り返すことがなくて、良かったと思っている。
けれども、人を切りまくった自分はいつか誰かに殺されるとばかりに思っていた。生きていて一番そこに驚いている。結局もの凄い長生きをしてしまった。
先代の王もいなければ茶鴛洵も随分前に旅立った。櫂瑜もだ。年下の旺季も凌王も奴ららしい逝き方をした。
こいつが一番長生きしそうだと、思った奴も随分前に姿を消した。

遠い昔3人で王に仕えた日々を昨日のことのように思い出せる。その周りに櫂瑜や旺季、凌王たちが面を連ねる。戦で亡くなった奴らも思い出せる。昔のことのほうが上手く思い出せた。そんなものなのだろう。記憶が美化されているようにも思えたけれど、あの時代酷い飯を食べて血まみれで剣を握って修羅のように戦った最低な記憶もはっきり思い出せた。酷くて最低で、世界の終わりがさっさと来れば良いと思っていたあのとき。
今はもう、面影もない。
凌王とやり合って自分も随分年をとったと思っていたのに、更に年を重ねた。その間に年下だった凌王は桜の下で息を引き取り、旺季も旺季らしい最期を迎えた。
未だ課題も多いだろう治世だが、まだ良くなるだろうと何故だか宋隼凱は確信していた。今の王が劉輝だからかもしれない。娘の公主も素直でいい子だ。思わず笑顔になる。
洟垂れ小僧で泣いてばかり、嫌なことは直ぐに忘れてただひたすら人の顔色を伺ってばかりだった、あの子ども。時折剣を教えて、随分腕前も上がった。結局自分よりも上に行くことはなかったけれど、奴がそこに辿り着く必要はなかった。今の時代に、劉輝がそんな力を持つ必要はない。武が必要な奴は他にもいるし、そいつに任せておけば良かった。
逃げてばかりだった王。泣いてばかりだった王。その手のひらにはすり抜けていくものばかりの、寂しい王。
一番大切だったであろう人もいなくなったとき、それでも一人で立ち上がった劉輝を見て、もう大丈夫だろうと確信したのである。

何故か、王宮で主立った面々が逝くと必ずと言っていいほどやってきた剣舞を思い出した。
いつものあの場所で、酒と杯を持って3人で集まり、自分が剣舞を手向ける。1人欠けても一緒だった。いつものあの場所で、いつもの面子で。
たった独りになっても、あの場所で、あの舞を。いつものように3人分の杯を用意して。
もうそれもできない。昔を懐かしむことも、誰かを送ることも、もうできない。
自分が休む時間が近づいている。

ちょっとだけ寂しいのかもしれない。自分が死んでも、多分誰も葬送の舞などしてくれない気がする。これが意外と難しいのだ。正直紅秀麗の手向けとして踊ったときも結構腰に来た。あのとき流石に年は考えたほうが良いかもしれないと思ったものである。
誰か嘆いてくれるだろうか。悲しんでくれるだろうか。きちんと送ってくれるだろうか。
この目の前の妻は、泣いてしまうだろうか。
独りで逝くのは寂しい。けれども、こうやって大往生なのは予想していなかった結果である。
それだけで別に良いかと思えた。誰かが剣舞なんてやらなくても、誰も悲しまなくても、予想に反して妻に看取られて逝けるのなら、それでチャラな気がした。
を置いていくのだけが、今は辛い。それだけ色々良くしてもらえたからだ。

「おじいさん」
「…何だばーさん」
「あらまあ、のったのは初めてですね」
「ああ…最期だからな」
「そうですか」

お互いに「おじいさん」「おばあさん」と呼ぶようなのは何故か嫌だった。年相応というか、むしろ生きすぎているのにだ。
だからが「おじいさん」などと呼んでも反応しないこともあったし、のらずに名前で呼ぶことばかりだった。
今回くらいは、最期だから。
の遊びに付き合ってみても良いかと、余裕な気持ちが何故だかあった。どうせお互いじーさんばーさんなのだから、違和感は何もない。自分の気持ち次第だと思った。
もう自分は死んでしまう老いぼれである。自他共に認める爺だ。何かそう考えたらこの一回くらいは良いかなと思えた。

「ねえおじいさん、私は貴方が戦場で死ななくて、それで良いと思ってますよ」
「そうか」
「ええ。先王時代も今までも、戦うしかできなかった人がこうやって妻に看取られて逝けるんです。劉輝陛下治世の、輝かしい死に証人ですよ」
「…何だそれ」
「生き証人ではありませんからね」
「…そうか、そうだな」

自分のような人間だからこそ、こうやって布団の上で死ねるのが良いことだと言う。そうなのかもしれない。

死ぬときは独りだと思っていた。
それは多分ちょっとだけ寂しいし、悲しい。それが生きてきた上で当然の報いだとしても。それでも良いと思っていた。
でも今は、の言うようなことでも、良いと思っている。どうせもう死んでしまうからだ。
…そうか、そうだな。あの坊主の、功績の小さな一つとして思われるのも良いのかもしれない。

「ああ…思ってた以上に、良い最期だ」

そう言うとから握られていた手が更に強く握られた。顔を見るといつもの好きな笑顔を浮かべている。今まで言ったこともないが、このの笑顔が好きだった。
最初から最後まで、この笑顔が好きだった。
こんな死に方、考えもしなかった。好いた女に笑顔で見送られて、逝けるなんて。
多分が死ぬとき、笑顔で自分も迎えに行くのだろう。死ぬのはやっぱり、ほんのちょっぴりと寂しいから。それが布団の上でも、家族に看取られていても。
笑顔でこの好いた妻を迎えに行こうと、決めた。こうやって笑顔で見送ってくれるから。

死ぬときは独りだと思っていた。現実はそういかなかった。思っていたよりも寂しくないし、思っていたよりも良い逝き方だ。
そんな逝き方を贈ってくれた妻のためにも、が死ぬときは必ず迎えに行こうと、死に際で笑った。



12/05/03
秘抄での宋将軍のあの一文で何か色々持ってかれました。
奥さんはどんな感じの人なんだろうなー。若い頃は無茶しても、年取れば相応になると思うので一応こんな落ち着いた感じに。
宋将軍こそただ独りきりで逝く人だと思いますが、そこはまあ、奥さんにね、看取られればね、まだ寂しくないかなと。
皆を見送ってきた彼を、奥さんが看取るのもね、良いんじゃないのかと。
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