女神は全て許している

04

最近の私の悩みをアイオロスは気づいたらしい。
とりあえず書類は後でと言われてペンをもぎ取られ、応接ソファーに無理矢理座らされる。何でこうやって面と向かって話さねばいけないのか。アイオロスが淹れてきたコーヒーは砂糖が大量に入っていて何とも言えない後味だった。これならむしろミルクを入れたほうが美味いのに何故気づかないのか。
なら自分用と、私用と、砂糖もミルクの量も変えて出してくるというのに。
そこまで考えてため息を吐きそうになったが寸前で止めた。アイオロスの目の前だからだ。

「最近何を考えているんだ?」
「…何のことだ」
「隠しているつもりなら、嘘が下手になったな」

他の黄金ならいざ知らず、私とはもう何年の付き合いだと思っているんだと、アイオロスは笑った。13年の空白をなかったことにしているのか知らないが、自信満々にアイオロスはそう言う。というかそもそもこの男は嘘を見抜くのが上手い。全て勘らしいのだが、よくよく話を聞けば色々観察もしている結果嘘だと解るらしい。恐ろしい男だとやはり思う。

「まあサガが悩むとしたら仕事か人間関係だろうな」
「………」

ぐうの音も出ない。正にその通りだった。
彼女をこのまま、仕事の手伝いをさせ続けて良いのか悩んでいるし、私自身この気持ちをどうしたら良いのか手に余らせている。
アイオロスともしも恋仲なのだったら、自分の傍ではなくこの男の傍の方が良いだろう。それなら、自分も妙な葛藤をせずに楽になるかもしれない。
彼女の笑顔が好きだった。でもこのままでいたら多分彼女を困らせるだろうし、泣かせるようなことも勢いでするかもしれない。意外と、感情が昂ぶりすぎると直情的な行動をとるのはもう13年前に実証済みだ。あの人格が出ないとしても、閾値を越えると自分でも何をするか解ったものじゃない。それならば遠くの安全な場所に行かせたほうが、彼女と自分のためな気がした。

「図星か。…黄金たちのことでもないだろうな。好い人でもできたのか?」
「…黙秘だ」

何故プライベートなことを詮索されねばいけないのか。下手に黙っても見抜かれるし、どうせこうやって言ってもアイオロスには見抜かれるのも解っているのにとりあえず口を開く。
動揺が出ていないと良いと願いながら、目線をカップに寄せて口をつけた。やはり甘い。意外とアイオロスは甘党で驚いたのが遠い過去の話だった。

「まあ別に構わないが、悩むような相手と言うことか」
「………」

今度こそ黙った。下手に何か言って墓穴を掘るのだけは避けたい。
しかしこの男意外と直球かつ直線的だった。ズバズバを話を進めていく。

「誰かとは聞かないが、今のまま辛気臭い顔をされていても困るんだ。仕事の進みも若干だが落ちているの、解っているだろう?」

カップの甘いコーヒーを半分くらいまで苦行か何かかと思いながら飲み、一旦ソーサーの上に戻した。
アイオロスはやはり教皇に向いているのだと、思う。黄金たちは気づかないがこの男は気づく。自分の完璧な演技でも、騙されない。その割りに書類仕事は適当なところが出るのが逆に良いのかもしれない。
このまま黙っていてもアイオロスは何とか口を割らせようとしてくるのだろうと、彼の性格を考えて腹を括った。

「…アイオロスのそれは目ざといとでも言うべきか」
「そうかもしれないな。まあ今回は放っておくとどこまでも沈みそうだと思ったのもあるんだが」

一息だけついて、何から話そうか考える。彼女の名前は出さないと決めて。

「確かに、好きな人が、できた」
「ああ」
「…好きになったら、いけないと思っていたんだ」
「?何故だ」
「解るだろう」
「全く解らん。何故好きになるのに良いも悪いも、いけないとかあるんだ」
「私が、罪人だからだ」
「女神はそれをも許した」
「だが自分自身が赦せていない」

教皇補佐のこの地位にいるのもおこがましいと思うことがある。だけれども自分よりも能力がある者がそうそう居ないのも事実だ。聖域を立て直すのに自分の能力が必要で、自分の罪を償うのに打ってつけだった。皆の目が届く範囲の位置の方が、良い。

「罪人の私が誰かを好きになるなど、おこがましいにも程がある」
「……誰かを好きになることすら、罪だとでも思っているのか?」
「そんなものに現を抜かしている場合でも、ないだろう」
「だが、君は好きになってしまったのだろう」

その通りだった。もう諦めてしまおうと思ったこの気持ち。それでも消えないのは彼女がやはり優しいからで、自分自身だいぶ頼りにしたり心の拠り所にしてしまったらしい。

「そもそもサガの言っていることは意味が解らない。誰かを好きになることが罪になるはずもないだろう」
「私は罪人だ」
「刑務所内での結婚もあると聞いた。誰かを愛し、誰かに愛されるというのはとても素晴らしいことだと思うが」

そもそも女神がそれを罪だとでも言ったのか?違うだろう?と真剣な眼を向けられた。言葉に詰まって口を閉ざす。
女神が罪と言わずとも、自分自身が悪いと感じてしまう。それを自分で許せば甘えているように感じるのだ。私の様子にアイオロスはため息を吐き、まだ更に言葉を続けた。

「地上の愛と平和を守るのに、何故人を愛してはいけないのだ?どうしてそれすらも罪だと君は思うんだ」

誰かを好きになることは、とても素敵なことだろう。部屋にアイオロスの声が響いた気がした。
耳に残ったその言葉を、頭の中で繰り返す。

「女神は多分、愛と平和を守る聖闘士なのに、何も知らず何も経験せずに死んでいくのは悲しいと思って生き返らせてくれたのだと、私は思う」

だからたくさんのことを見て、聞いて、経験して、そうして人としても生きていくことを望んでいるのではないか、と続けられた。
アイオロスの目を見ていられなかった。下を向くしかできず、カップに入ってる残りのコーヒーを見つめるしかなかった。
何故この男はこんなにも聖人君子なのだろうか。彼女と同じで本当に眩しい存在だった。彼に許されるのならば、良いのかもしれないと考え始めてしまうから恐ろしい。
そもそもこの男は自分が死ぬ羽目になった張本人に対してそんな綺麗事を本気でのたまう。自分だったらそんなこと言えないだろうと自答した。負けることはなくとも彼に勝てる日は来るのだろうかとも考えた。

「別にサガが諦められる程度の恋心だったのなら、私は何も言わないが。でも、言い訳して逃げるだけならそれは違うと思うぞ」

それじゃあ決死の覚悟で君に告白する女性たちが可哀想だ。生真面目にアイオロスは言う。…何だか少しずれている気がするが、言いたいことは解らなくもない。

「というか君が言い訳をするのが珍しいな。…まさか冥闘士じゃないよな」
「それは流石にない。というか誰と接点を持てと言うんだ」
「うむ確かに。ならやはり周辺の女性か。サガなら選り取り見取りなんだから別に悩まなくても良いものを」
「…」

そういう問題じゃない。そもそも相手にも選ぶ権利がある。だが多分アイオロスは相手が誰であろうと自分の思う道を進むのだろう。一進一退なんてせずに彼は好いた女性の手を取り未来を歩めるような男だ。それが堪らなく羨ましい。そんなことを思うなんておこがましいにも程があるというのに。

「まあ話を元に戻そう。例えばの話になるんだがな、サガが好きな女性と相思相愛だった場合、君の考えだとどうにもお互い幸せになれないんだがどうなんだ?」
「………」

そんなことありえるだろうかと、思う。
だが例えばの話、…彼女が、が自分を好いているとしたら。それは。

「…いやあり得ないな…」
「頭が固いな。あり得ないではなく、もしもそうだったら、だ。君の好きな女性が君を好きだと、言ってきたらどうするんだ」
「………………」
「想像が付かないって顔をしているが、普通に考えて嬉しいだろう?」

何故だか大げさにため息を吐かれながらそう言われる。…それは、まあそうだろう。嬉しいに決まってる。
彼女の瞳に自分が写るのなら、それは至高の喜びだろう。あの笑顔を独り占めできる位置に付けるのならば、幸せ以外の何物でもない。そんな、世迷言。

「こんなもしもの話はもしもだから良いように考えて良いんだよ。もしも好きな人が告白してきたら普通に嬉しいし、付き合いたいと思うだろう普通。でも君の考えだと君だけじゃなくてその好きな人も幸せになれない。それはおかしいだろう?」

目から、鱗が落ちた。

「さっき言った覚悟して告白する女性が可哀想だと言ったのはそういうことだ。なあサガ、人は誰だって間違いを起こす。生きていくなら自分自身の罪とも向き合わないといけない。でも、だからと言って幸せになれないなんてことは、ないと私は思う。罪を背負いながら幸せになることの方が、覚悟も大きいだろうし多分パートナーにも迷惑をかけるから大変だと思う。それでも良いと思える人ができたのなら諦めるなんて勿体ない。君のことをきちんと知っている女性が、君が良いと言うのならば、君の言う罪人だからという断り方は酷く滑稽にも思える」

彼女の手を取って歩く未来は、酷く儚くて脆い妄想だと思う。自分が笑っている想像も付かなければ、彼女の手を取れるとも思えなかった。
でもその夢のような未来を考えても良いのなら。許されるのならば。

「ちなみに、君が贔屓にしている女性からこの間相談されてな。君の元気がないし書類決済のスピードも落ちていると言われて私もやっと気づいたんだ。やはり素敵で魅力的な女性だな」

…アイオロスには、やはり敵わないのかもしれない。



14/05/13
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