07-2


夏が終わればすぐに秋になる。
暑さも忘れてきた頃に、氷室俊介は村にやってきた。
そこから怒涛である。まさか診療所に男三人で住むことになるとは思いもしなかった。
俊介の眼を治療し、眼鏡も購入した。何故か俊介は診療所に居座っている。
昔馴染みの者がいるのは案外楽しいもので、別にそれは構わなかった。
問題は、クローン臓器だの何だのと立て続けに起こったことである。

の治療院に行けない……)

夏より前のような頻度での顔を見に行けなくなった。由々しき問題である。一人は本気でそう思っている。
何だかんだの元に通っていた分、身体の調子が良かったのでしばらく何とかなったが、やはり少しずつ眠れる時間が減り身体の凝り具合も戻ってきていた。
俊介が来ていることも、には伝えたほうがいいような気はしている。
気はしているのだが、どうにも連絡をする気にならない。俊介に会わせたくないわけ、ではない。はずである。
が関わるといつもと全く違う行動をしてしまうのが自分でも不思議だった。
それもこれもが「会えるなら会いたい」などと言ってきたからである。から会いたいなどと自分自身は言われたことがないから腹いせなどと、そんなこともない。はずである。自分の感情なのによく解っていない。
が関わると途端に自分がただの人間で若造なのだと実感する。思春期の子どもですらこんなことをするのだろうかと自問自答してしまう。男は幾つになっても馬鹿であるとまさか自分が体感するとは思ってもみなかった。
そもそもクローン組織に目をつけられている状態での元に行くのもマズい気はしている。しかも父親が関わっているのだ。どこまでに話していいか、どこまでと接触しても平気か、考えあぐねていた。

どうしたものかと頭を悩ませていれば、夕飯時に俊介にとうとうの話を振られる。

「そういえばは? まだ結婚してないのか?」
「……」

直球も直球である。剛速球すぎて返事ができなかった。
しかも富永がいる前である。空気の読まない辺りは変わらず健在だった。
富永が話についていけず間抜け顔を晒していた。

「Kって彼女さんいるんですか!?」
「彼女……そこまでの仲になってるのか? というかはどこなんだ?」
「……」

面倒臭くなってきたので部屋に戻りたいと思ってしまった。
勝手に俊介がの話をしていく。富永は本当に初めて聞いたのか限界まで目を広げて驚いていた。

「えっ、Kに女性の幼馴染までいるんですか!?」
「そうそう。一個下だけどな。しかも子どもの頃から結婚するならだって言い切ってたぞコイツ」
「うわそんなドラマみたいなことKが……? あれ、でも村で見たことないですよ中村さんって」
「……」

見せていないのだからそれはそうだろう。
だがしかし他の村の人たちものことをカケラも話していないのは正直予想外だった。

「逃げられたか。お前嫉妬すごいもんな」
「うるさいぞ俊介」
「いやマジかよマジで逃げられたのか?」
「逃げられてない。進学で村を出てから街で就職しただけだ」
「へえ(それは逃げられてるのでは?)」

俊介にも富永にも微妙な顔をされるが無視をした。
本気で逃げるなら、もっと遠くに、何も言わずに消えるだろう。はそういう女だ。
顔を見せに来る、居住地を伝えてくれている、電話に出る。しかも仕事先を教えてくれているのだ。完全に逃げられているとは思っていない。
少し逃げられているのではと言われれば、それはそうかもしれないと、思いはする。
自分の結婚相手にはしか考えられないが、からしたらそんなことはないのだろう。それを考えれば、この微妙な距離も解らないでもないのだ。
逃がす気はあまりないが。

俊介は少し思案したあと口を開いた。

「……いや、でもお前……、いや男のお前はいいとしてもはもう幾つだよ。30近いんだぞ。結婚するなら早めにしろよ」
「……」

それは本当にそうなので、何も言うことができなかった。今日は返事ができないことが多い。
が戻って来るのを待つくらいならいくらでもできるが、結婚を考え始めるとそろそろ本気で考えなければ不味いとは思っている。
黒須一也がいるのでKの名はどうにでもなるだろうが、神代の家をどうするかきちんと考えなければならない。としか結婚する気がないので、子どものことを考えれば早めに行動して悪いことにはならない。
けれども間違えてしまった自分がそんなことを言うべきでもないとは思う。
そもそもが結婚する気がなかったらどうしようもない。村の人間に言われれば「解ってる」とは言うが、ただそれだけなのだ。本気で考えているのかどうかが解らない。
富永がこちらの顔を見ながら放心状態で声をかけてきた。

「Kにもそんな感情あるんですねえ」
「どういう意味だ」
「だって何か潔癖そうだなって思ってたんで」
「……」

何も否定ができない。そういう意味合いでの潔癖ではあるとは、自分自身で思うからだ。
富永のその言葉に何故か俊介が返事をした。

「ああ、一人潔癖だよな」
「あ、やっぱり?」
「……そこまででは」

生活に支障が出るほどの潔癖さはない。医者としてある程度の清潔さは保つが、じゃあ何でもかんでも消毒をしなければ、などとは思わない。清潔にしすぎて免疫が落ちるのも知っているからだ。
ただこの二人の言葉はそういう意味合いではないわけで。

以外とキスできんの?」
「……」
「セックス無理だろ以外と」
「……そもそも決めた相手がいるのなら他を考えるのはおかしいだろう」
「潔癖だろもうその思考」
「いや氷室さんもどうかと思いますけどその考え」
「ええ~?」

俊介も俊介でそれはどうなんだ、と思えば富永が同じことを言ってくれた。
別に赤の他人の女遊びが派手だろうと構わないが、その価値観をこちらにも押しつけられても困る。
そもそも決めた相手以外を抱けるのが常々何故なのか疑問でもあった。他人の体液を触る行為が、そんな簡単にできるものなのか。手や身体はまだ耐えられそうだがが口腔は中々難易度が高くないか、などと10代の頃から思っていたりする。

「常々不思議だったんだが」
「ん?」
「医者として知識を付けた上で、不特定多数と体液を交える行為が平気なのは、何故だ?」
「「……」」
「……」
「「潔癖……」」

同時に言われてしまい、流石にそれ以上何も言えなかった。
富永がごほんと不自然な咳払いをして話題を変え始めた。

「まあ、それは置いといて。Kがそんな風に考えられる女性ってどんな人なんです?」
「どんな……、強いよな」
「……まあ」

富永の質問に俊介はそう言ってきたので、「それはそうだが」と思いながらも返事をした。富永の欲しい答えでは絶対ないのは解るが、強いか弱いかと言われたら確実に色んな意味で強い女だとは思う。

「強い……!? Kみたいな……?」
「ブハッ!!」
「うわ汚い氷室さん!!」

富永の言葉に俊介が吹き出した。飛沫がこちらにも飛んできて富永が汚いというのは最もである。

「いや今のはしょうがないだろ! 流石にそこまで強いって感じじゃないって。……あ、いや、でも一人よりもまだ強いのか?」
「いや流石に」
「ああ、そこは流石に」
「えっ本当に物理的に強い女性……!?」
「強いぞー。中学半ばまではのが強かったよな?」
「ああ」
「えっ……?! えっ!!?!?」

この男に勝っていた女? という顔をされての株を下げている気がしてくる。いやだが、実際強いのだ。女なのが残念と言われるほどに強かったのだが、体格は普通である。

「別に普通の女性だ」
「普通……普通……? どうせマント被ってるとかじゃないんですか?」
「結婚もしてないのにそれはないが」
「……ああ、うん。ハイ」

結婚したら着せるのかよ、と俊介が小声で突っ込んできた。の意思に任せるので別に着ても着なくても構わないが。

「何かもっとこう、ないんですか? 笑顔が可愛いとか」
「……」
「ほら言ってやれよ一人」
「何故」
「はーこれだから逃げられるんだよ」
「逃げられていない」
普通に可愛いだろ」
「…………」

俊介はこうやってスッと言うことができる。女にモテると豪語するだけある、とは思う。
人の美醜がよく解っていないので可愛いと言われても「そうなのか」という感想になってしまう。
ただ、俊介がのことをそうやって言うのは身体の中がザワザワしてくる。

「へえ、氷室さんから見ても可愛いと」
「いや本当普通に可愛いぞ。一人の嫁になるって子どもの頃から言われてたから皆そのつもりでいるけど、そうじゃなかったら村の男の誰かとさっさと結婚してただろうさ」
「へ~~」
「……」

この年でまさかの話を聞くとは思わなかった。そんな風にが見られていたのかと初めて知った。そう思われるほどの顔ではあるのか。話に加わることもできずに黙ってしまった。

が、そういう風に見られていたのか)

自分がいなければすぐに結婚できていたのかもしれない。
もしかしたらそれが俊介だったかもしれないし、別の男だったのかもしれない。自分がいなければ、はそもそも自分で理想の相手を見つけていたのかもしれない。
のことを好いてはいるが人の美醜は解らないし、そういう一般的な感情も理解はできるが、自分の気持ちとしては沸いてこない。のことを好いているのに、綺麗だとも可愛いだとも思ったことがない。
それでも離れがたいと思っているし、自分で愛でたいという欲求はある。
それでいいのか、それで足りるのか。経験のないことはこの年になっても足踏みをしてしまう。

「Kから見てどういう女性なんですか?」
「……」

救ってくれた女性だった。背中を押してくれる人でもある。
この村のことも、神代の家のことも、自分のことも全部知っていて、背中を押してくれる。憐れむこともなく、蔑むこともなく、畏怖するわけでもない。子どもの頃から変わらぬその態度と言動だけで、どれだけ救われたか数え切れない。すがりつくこともなく、突き放すこともない。それが、どれだけ自分を救ってくれたか。等身大の自分を見続けてくれる人間がいるというのは、この年になって有り難いものなのだと気づく。
俊介もそうだったが、の場合は自分が弱っているときに助けてくれたことが多い。だからか、自分が執着していると明確に自覚している。
は、そういう人だった。

「……医者として未熟だった俺の背中を、押し続けてくれた人だ」
「へえ……!」
「へ~~~~~~~~~??」
「うるさいぞ俊介」
「返事しかしてねえっての。辛辣すぎないか俺に」
「え~Kぇ、他にも何か教えてくださいよ」
「嫌だが」
「ええーーーー!! いいじゃないですか何かもっとこう、ほら可愛いとか! 守ってあげたいとか! ないんですか! 顔が可愛いとか髪の毛が綺麗とか! 手とか脚がいいとか!」
「…………ないが」
「いや一人お前今絶対何か考えただろ」
「ないが」
「いや絶対何か考えただろ。何考えたんだよ」
「──……、……腰は細いとは、思う」
「ほお~~~~~~~?」
「へえ~~~~~~~~」
「……こんな話を聞いて楽しいのか……」
「楽しいに決まってんだろ」
「Kだから楽しいところはありますねえ」
「…………」

楽しいのか、と少し驚きながらもこれ以上はからわれるだけだからと口を噤んだ。夕飯は既に食べ終わっているので、食器を洗い場へと運んで強制的に話を終わらせた。



富永が風呂に入っているタイミングで俊介がさらに聞き込んできた。

「就職したって言うけどって街で何やってるんだ」
「鍼灸師だ」
「へえ、Acupuncturist! なるほどなあ。街でやってるなら受けに行こうかな。場所教えてくれよ」
「……」
「……、……一人お前流石にその嫉妬はヤバいだろ」
「……そういう、わけでは」
「ほお。じゃあ受けに行ってもいいだろ俺だって幼馴染みだ。顔も見たいしな。教えてくれよ」
も忙しいんだ、迷惑をかけるな」
「いや客として受けに行くって言ってるんだが? お前本当嫉妬深いのどうにかしろよ。に愛想尽かされるぞ」
「……うるさい」
「その頭悪そうな返ししかできなくなるの懐かしいな。のことになるとIQ下がるよな」
「俊介、眼鏡を壊されたいか?」
「お~~怖い怖い」

あはは、と笑いながら俊介はさらに続けた。怖い物知らずは変わることがなく、どれだけすごんでも軽々と俊介は踏み越えてくる。この家のことを知ってもそうなのだから性根は本当に変わっていない。

「なあていうかお前とどこまでの関係なんだ」

本当に、ズカズカと繊細な部分にも踏み込んで来るのは変わらない。

「……言う必要があるのか」
「さっきの会話的にとならセックスできるって捉えられるんだが? シたのか? それとも想像か?」
「黙秘だ」
「何だよ教えてくれてもいいのに」
「教える馬鹿がどこにいる。さっさと部屋に戻って寝ろ」
「俺風呂まだなんだけど?」
「知らん、さっさと寝てろ」
「潔癖な一人に嫌われちまうから嫌で~す」
「…………」

他人に対して明確にイライラしたのは俊介が初めてかもしれなかった。