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「今どき高校生のほうが過激ですよ」

夏祭りから帰宅した富永にそう言われて一人は顔をしかめた。いきなり何なのか。

「お互い浴衣着てデートしてるのに何で何もしないで帰ってきてるんですか。流石にどうかと思いますよ」
「…………」

こいつも言うようになったな、などと一人は思った。自分にここまで言ってくる人間も今じゃ少ないので貴重に思える。言われたことに関しては何も返答ができない。

「せめて手ぐらい繋いできましたよね!?」
「何で富永に報告しないといけないんだ」
「あっその言い方本当何もできてないんじゃないですか! 浴衣デートしてるのにそんな体たらくでどうするんです!」

お互い共にいい年なのに何をしているのかとも富永に問われる。そんなこと言われてもこの年までこんな風に来てしまったのでどうしようもないだろうと一人は思ってしまう。流石にそんなこと口にしないが。
普通は手を繋いでもいいものなのか、などと思ったが実行する気にはならない。にこれ以上距離を取られるのだけは嫌だった。自分のせいでこんな距離になってしまったので、下手なことをして村を完全に出て行かれたら立ち直れない気がしている。
抱いてしまったことを後悔はしているが、あの日の睡眠は人生で一番長くて熟睡できたものだったし、あの日のおかげで確実に自分は持ち直せた。それでもに対して間違えてしまった気持ちは拭えず、十年以上後悔している。が村を完全に出ていないことだけが支えだった。

「色々あるとは思いますけど、もうちょっと素直になったほうが良いんじゃないですかKは。今のままじゃお爺ちゃんお婆ちゃんになっちゃいますよ」
「……」

既に三十歳なので富永の言葉に何と答えればいいのか全く思い浮かばなかった。の年齢や、掟をどうするのか考えれば本当に行動しなければいけないのだが、そのせいでを完全に手放すことになるかもしれない覚悟が一人には全くない。
医術のことなら自信を持って行動も発言もできるというのに、どうにも縁のなかったことは何も解らず手をこまねいてしまう。それが何年も続くのだから終わらせる気はあるのかと問われれば、解らないとしか言えなかった。知らないことは素直に聞くことができるのに、こればかりは人に聞くものでもないと思うし、自分たちの生まれや育ちが特殊すぎて相談もしいくい。

(……今日のことを話したらさらに何か言われる気がする)

そこまで重大なことでもないが、一人としてはそれなりに衝撃的だった。が自分の袖を掴んできたのは驚きすぎて声も出なかった。
最初からの歩みがいつもと違うことには気づいていたが、履き慣れない物のせいだと考えていた。袖を掴まれて、やっとが足を庇っていることを確信できた体たらくだったので反省をしている。
頼られた――のとは違うのかもしれない。けれどもが自分を引き止めてくれたこと程度でも嬉しく感じた。自分で全てやってしまう彼女に、少しでも関われるのは喜びを感じてしまう。
傷になる前に対処できたのも良かった。自分がいながらに傷がつくのは許せない。
自分のハンカチを使えば、返してもらう約束もできた。の義理堅さならいつになろうとも返してくれるだろう。逢うための約束ができたことが僥倖である。

「そういえばイシさんって女性のお孫さんいたんですね」
「……そうらしいな」
「?」

も疑問に思わなかったのでそのままにしているが、浴衣は一人がイシさんに頼んで用意してもらったものだ。一人は金を出しただけで、柄はイシさんに選んでもらい、保管も着付けもイシさんが全て行ってくれた。大変呆れた顔をイシさんにもされたが、自分が用意したらは着てくれないと思ったので恥を忍んで頼んだ。イシさんが関係すればは了承してくれるのだ。を孫のように思っているイシさんは結局浴衣を買ってに着せてくれたので、それを間近で見れて一人も良かったと思っている。
流石に、この行動は不味いと言うか、気持ちの悪いものではないかと一人も解っている。ただバレなければ良いだろうとも、思っている。一人は金をイシさんに渡しただけで、柄を選ぶのも購入自体もイシさんが行っており、このあとの保管も任せている。
嘘も方便だろう。自分自身の良いように考えているのは理解しているので、絶対ににはバレないようにだけ気をつけたい。
ここまでしてとの仲は何も進んでいないし、に対して何もできていないので、富永に何を言われてもその通りだなとは思ってしまう。浴衣を着たが見たいと、本人に言えずイシさんをダシにしなければならないのは不甲斐ない。けれども自分がそんなことを言ったところでは嫌がるというか拒否をしてくるだろうし、イシさんの名前を出さなかったら今日も当日来てくれず、浴衣も着てはくれなかっただろうとも思う。

(……その関係性で富永の言うようなことが、できるわけがない)

前に進めないどころか自分だけ泥沼にはまり込んで抜け出せていない。
そもそも今日の治療もに嫌がられなくて良かったと、そう思っている。の治療は基本的に父の一郎がしていたので、一人が治療をしたことは数えるほどもない。高校の事件とその後の一晩のせいで自分が彼女に触れていいのかも悩んでいたので、今日勝手に触ってしまって反省していた。患者を見ると勝手に動いてしまうのは職業病だが、時と場合はちゃんと考えないといけない。傷になったらいけないという一心しかなく、が嫌がらなくて良かったと安堵している。
思い返していると、の足の細さや小ささが目に焼き付いていることに気づく。治療しているときはあまり何も考えていないが、それでも手を添えれば自分のそれと比べてしまって小さいと感じていた。他の患者でそんなこと考えたことはないが、相手だと考えてしまうのは一人自身不思議に思っている。

「村井さんも心配してましたよ? 結婚してると思っていたらしてなかったって言ってましたし今日は本当お祭り回ってるだけだし」
「そ……んなことを村井さんが言っていたのか」
「そりゃ好い女性いるのに、未だにこんなまごまごしてたら不安になるでしょう僕らより上の世代は」
「……」

それを富永に漏らしてるとはどうなのかと思ったが、富永に言ったところでしょうがない。実際自分に面と向かって言われても困る。そもそもそれは村井さんが――とまで考えたが、流石にそれ以上は考えるのを止めておいた。言ったところでもうどうしようもない過去である。元はと言えば母親の死と父親の失踪が原因でもあるので本当に言ったところでどうしようもなさすぎる。
両親が健在だったとしてもといつ結婚していたか考え付かないので、何だかんだこんな関係で続いていたかもしれない。そう考えると自分の行動できなさは情けなくもある。

(いや、流石に両親がいたら自分から言っていたか……?)

しかしその自分から言うタイミングが掴める気がしない。何せ掟だなんだ言ったところで、その掟を達成するための時期など何の明言もないのだ。昔は成人したら掟の二人は結婚していたらしいが、なら今の時代の自分がそれを享受して素直に結婚しているか少々怪しい。と結婚したくないわけではないが、たかだか十八歳程度での人生を背負えるわけでもない。一緒に歩んでいける相手ではあるが、結婚になると流石にその年齢は戸惑っていただろう。結局自分からとの結婚を乞うことはタイミングを逃していそうな気がする。
そんなことをぼんやり考えて、変な汗をかきそうになった。村井さんに色々言われていてもしょうがないのかもしれない。なあなあで済ませてきたが、客観的に見てこの停滞は良いものでは絶対にない。

富永の小言のようなことを聞き流しながら、に着てもらった浴衣をイシさんに渡せるように整えていく。

(――来年も、着てくれないだろうか)

いっそ新しい柄をイシさんに頼んで買ってもらおうかと思ったが、管理するのはイシさんなので流石に現実的ではない。そもそも来年の夏もが村に帰ってくるかどうかも解らない。帰省したとしても、夏祭りを来年も開催するかも、その時期が被るかも不確かだ。
下手をしたら浴衣のと回れるのは今年が最初で最後かもしれない。今さらそれに気づいて、もう少ししっかりの浴衣姿を目に焼き付けておけば良かったなどと思ってしまう。あまりマジマジ見るのは失礼だと思っていた自分に嘆くしかない。気の利いた言葉もかけられなかったのだから、自分の経験値の少なさが露呈していく。
こういうときに、一人は自分が人間の美醜をよく理解できないことが悔しくは思う。けれどもどんな人間を見ても美醜の優劣などよく解らないし、それを本人に言う気も起きない。でしかなく、浴衣を着た姿も「似合っている」くらいしか思うことがない。
「似合っているということをちゃんと言ってやれ」と、一人の考えてることを知った富永や他の面々は言うだろうが、一人はこれだけ考えても口に出すことはない。言ってが困るくらいなら言わない選択をしてしまう。

(来年、もしも着てくれたらだな)

どこまでなら近づいていいのか、未だに一人は解らない。
浴衣が似合っていることを伝えるくらいは、言ってもいいのだろうと結論づけた。服が似合っているくらいは赤の他人でも言うだろう。
来年また浴衣を着てくれたなら。また夏祭りを共に過ごせたなら。

そうやって決意をして夏が終わる。
はまた街に戻ったが、次の夏までにどこかで逢えると思っていた。
一人自身は逢おうと思っていたし、時間を作って逢いに行けると思っていた。一也が本気で医師を目指し始め、秋には女性の看護師が村に増えていき、何だかんだ時間が足りなくて逢いに行くことができなかった。
冬はからの連絡もなく、戻ってこなかったので仕事が忙しかったのだと思う。その連絡もされないのはいつも通りだったので、寂しくは思えど関係が変わっていないのだからしょうがないとすら思っていた。
そう、思っていた。