「えっ今年も夏祭りするの」
「ああ」
村の人間が存外楽しかったらしいと、一人が苦笑しながら言う。まあ娯楽がないのでこういうお祭りをするのは悪いことではないだろう。まさか今年もその時期に帰省が重なるとはも思わなかった。
そんな会話をしていれば、祭りの日に診療所に来いと言われ、何故なのか問えばイシさんが呼んでいると言われる。
不思議に思いながらも、掃除以外やることはないので当日診療所に行けば何故か女性物の浴衣が用意されていた。
「浴衣?」
「イシさんのお孫さんの物だそうだ」
しかも着付けもイシさんがしてくれた。申し訳ないと思いつつ、大人物の浴衣を初めて着れることには少なからず心が湧きたった。子どものときと違って思った以上に苦しかったがこんなものらしい。浴衣も結局着物なのだと、紐の苦しさを感じながらは思う。
一人も着付けをされ、今年はお互い浴衣で夏祭りに行くことになっていた。
(……浴衣デートだ)
そう思ったけれど、一人がどんな気持ちかも解らないので浮かれるのは止めておいた。村のお祭りなので、デートと言うのはまた違うかもしれない。顔見知りしかいない場所のデートは何かが違う気もした。デートだと思うと大層恥ずかしくも感じる。
去年と同じように一人と夏祭りを回り、色々お店を冷かしながら村の人たちと話をしていく。
村の人に「お熱いね」と言われての脳みそは少しだけ冷静になった。デートだと思っているのはだけだし、一人がそんな風に思っているわけもない。
勘違いしないようにと自戒も込めて、村の人たちのその言葉を否定しながら回っていく。
和服を着たことが全くないわけでもないが、いつもと違う歩幅なので中々歩くのが難しい。浴衣と言ったら下駄か草履だろうかと思ってそれもイシさんから借りたはいいものの、鼻緒が擦れてどんどん痛くなっていく。
浴衣の歩幅にも慣れず、鼻緒も擦れて痛いせいで一人の歩みに付いていけなくなってしまう。
置いて行かれてしまう、と思わず一人の浴衣の袖を掴んでしまえば一人が驚いてこちらを向いた。
一人の珍しい驚いた顔を見て、謝りながら手を離す。本当に無意識に掴んでしまったので、恥ずかしすぎて一人の顔が見れなかった。
(こ、子どもでもあるまいし……)
置いて行かれるかもと思って裾を掴むなんて、自分がとんでもなく幼稚な行動をしたことに羞恥を覚えた。夏祭りの会場は別にそこまで広くもないし、置いて行かれても別にどうにかなるのに何をしているのか。
「」
「ごめん本当無意識だった」
「いや、それよりも足をやはり庇っているな?」
「え、あ。あー、えーと」
「もう少し歩けるか」
座れる場所に連れて行かれて、足を診られてしまう。休みの日なのに仕事をさせてしまって申し訳なかった。何なら救護テントにひとりで行くと言っても聞いてもらえず一人に足を取られている。
「傷にはなっていないな」
「あの本当大丈夫だから……」
「このままにしていると本当に傷になるぞ」
「そうなったら絆創膏貰ってくるって」
「お前は……」
もう今から救護テントにでも行くから早く手を放してほしかった。踵がガサガサしていないだろうかと気になってしまう。
取られている足を少し引こうとしたら、一人がさらにガッツリ握りこんできて肩を竦めてしまう。居心地悪く感じてる間に一人はハンカチを取り出しての足に巻こうとしていた。
「使っていないからこれで我慢してくれ」
「えっ、いや、いいって勿体ない」
「が怪我をするよりもいい」
「…………」
一人が自分のハンカチを広げての足を包む。鼻緒の当たる部分をハンカチで覆い、動かないように結ぶだけだったのですぐ終わった。手際良く進んだので本当にすぐ終わったのに、それだけでの顔は真っ赤になっているのが自分で解った。
夏なので足が冷えている感じはなかったが、素足のせいか一人の手は温かく感じた。
患者を治療しているときの顔が好きだと思っていたが、いざ自分がその対象になるとどうしたらいいのか解らなくなる。元気が取り柄の通りあまり診療所にかかることもないので、一人に治療をされることがそもそも今まで全くと言っていいほどなかった。患者として見るとこんな感じなのかと、思ってしまう。
(ていうか何かすごいこと言われた気がする)
気がするだけで自意識過剰かもしれない。一人に過保護にされるのは少し辟易するが、こんな風に大事にされて嫌なわけがない。
幼馴染だからだろうか。村の人間だからだろうか。処女を貰ってしまったからだろうか。掟があるからか。
全部かもしれないし、一人がただ医者として行動しているだけかもしれない。それでもやっぱりは一人にこんな風に接してもらえるのは恥ずかしいけれど嫌ではなかった。むしろ嬉しいと感じているし、無関心な対象ではないことに安堵もしている。村の人間として、患者としてでも接してもらえるだけで一人の視界に入り、見捨てられるような対象ではないのだと感じる。
「これで歩いてみてくれ」
「――うん。大丈夫」
「他に気になる部分はないか」
「ない、大丈夫。……ありがとう」
「いいや」
ちゃんと気持ちのこもったお礼を言えているだろうか。一人に届いているだろうか。
高校生の頃に言われてから、は一人にお礼を言うときはそれなりに気をつけている。謝る癖がついていたのにも気づけたので、恥ずかしくとも一人にはちゃんとお礼を言いたかった。それでも申し訳なさが多大にあるので謝りもする。
「ハンカチ使わせてごめん。洗って返すほうがいいよね。頑張れば明日には返せる、とは思うけど」
「いや、……いつでもいい」
「そう? っていうか新しいの買ったほうがいいか」
足に巻いた物を、洗ったとしても返すのは何となく嫌な気持ちになったのでそうは伝えた。
ブランド物のハンカチだと言われたら流石にクリーニングでどうにかと頭を下げたところだが、市販の物ならば買って返したほうが衛生的だと思われる。男物のハンカチなんて使いどころがないが、一人からの物を自分の傍に置けるのも何となく嬉しく感じた。ストーカーの思考かもしれないが本人には言わないようにするので許してほしい。
「の負担にならないほうで構わん。――返してくれると言うなら、いつでもいい」
明日にはもう街に戻るので村にいる間に返すのは少しだけ厳しい。一人のその言葉には甘えることにした。
それに対してもお礼を言って、ありがたく一人の気持ちを受け取っておく。実際鼻緒が擦れなくなって普通に歩けるようになったので、その後も夏祭りを楽しめて帰宅ができた。
「一人、今日はありがとう」
「いいや、俺も楽しめた」
家の前まで送ってもらい、最後にそんな会話をする。その程度の受け答えでも嬉しいと感じるのだからお手軽な脳みそかもしれない。本当に一人が楽しんだかは解らないが、そうやってお世辞でも言ってもらえるのは普通に嬉しかった。
デートだとからかわれたことを何とも思っていないのだろうか。デートだと思っていたが浮かれすぎていなかっただろうか。ハンカチを使ったことは、医者だからだろうか。別に答えが欲しいわけでもないが、は勘違いするから困るなあと思ってしまう。
優しい男に恋をすると、気持ちが右往左往して大変だった。
「……」
「ん?」
「嫌では、なかったか」
「え、何が」
「治療とは言えいきなり触ってしまっただろう。大丈夫だったか」
一人にそんなことを聞かれて不思議な顔をしてしまった。一瞬言われている意味も解らないくらいだった。
「どういう……、あ、待って、うん。大丈夫。気にしないで」
「そうか」
昔あったことで心配されているのだと気づいて、すぐさま平気なことを伝えた。むしろ一回抱いてきたくせに何でそんなことを聞くのか。やはりあの時のことを忘れているんじゃないかと思えてしまう。
が村を出るときの一人は、村井さんがいなくなったこともあってだいぶ覇気もなく憔悴していたので、人肌恋しかったんだろうと思っている。忘れているのもまあ、百歩譲って構わない。こっちは一生覚えているだろうが。
「……嫌では、ないのか」
「え、別に」
「――そうか」
やけにしつこく聞いてくるので、そっけない返事になってしまった。
別に一人になら、触られても嫌じゃない。
高校のときは少しだけ気になっている人だったのに、それでも囲まれた瞬間とてつもなく嫌な気持ちになった。少し触られたのも気持ち悪くて仕方なかった。正直消えてほしいと思った程度に嫌悪感しかない。気づいたら学校から消えていたので顔も思い出せなくなっている。やられたことだけ一生残るのだと思う。
あの男たちと一人じゃ比べられもしない。一人とならふたりきりになったって平気だし、触られても嫌な感じはない。無理に触られるのが駄目だと思っていたが、一人になら押し倒されても平気だったのでとても不思議だった。嫌だと言うことも抵抗することもなかったが、あの時はそんなことしたら一人がどうなるのか解らないくらい弱っていたのでそんな気が失せた。結局受け入れられる程度に好感度が大きかったのが、あるのだと思う。
何で一人がそんなことを聞いてきたのか解らない。
けれども一人はの答えに満足したのか、家に入れと促して帰っていった。
一人の気配が玄関前から消えたのを確認して、部屋に入ってぼんやりと今日の出来事を思い出す。
(少しくらいは、期待してもいいの)
さっきの質問もそうだが、そもそも話題になって困る相手と夏祭りにふたりきりでは流石に回らないだろう。けれども結局幼馴染だからか、掟があるからか、処女なんかを貰ってしまった責任感からかと色んな考えが渦巻いて何とも言えない気持ちになってしまう。掟があるからだと言うならさっさと子づくりでもしてくれないかと思うが、そういうことを自分から言うのは憚られる。夏祭りにひとりで寂しいだろうからと、声をかけてくれた可能性も否めないのが悲しいところだった。
掟があるからと言うなら早く子づくりしてくれないかと思いはするのだが、掟だからと言われたらそれはそれで泣くのだろう。面倒くさい女だとは思う。
村の人たちに冷やかされるのが嫌だったら、いくら寂しい女だからと言っても一緒になんて回らない、とは思いたい。そう考えれば、少しくらいは一緒にいてもいい女として認識されている、はずである。
少しくらいは、未来に前向きになりたい。
少しくらい、期待したって、バチは当たらないと、思いたい。
「……ハンカチのおかげで、傷にならなかったな」
もう鼻緒が擦れた赤みもない自分の足を見て、そんなことを呟いた。別に救護テントに行って絆創膏でも貰えば済んだのに、一人にここまでされるのは不思議だった。こんなことをされたら期待して当然ではないだろうか。幼馴染だから世話を焼かれてるにしても、流石に期待する気持ちが止められない。好きであり続けていいのだと、思いたい。
ハンカチをどうしようか悩ましい。洗って返そうかとも思うが、でもやはり新しい物を買って渡したほうが衛生的だろう。
このハンカチを、記念に持っているのは許されるだろうか。これを洗って返せとは言われていないので、は新しい物を買って返すつもりでいる。それくらいは許してほしい。それくらいは、思い出が欲しい。
ハンカチを丁寧に畳んで、明日街に戻ったらすぐに洗濯しようと決意する。早めにお返しのハンカチを買って、一人が治療院にいつ来ても渡せるようにしようと計画も立てる。
このハンカチを持っている限り今日のことは覚え続けていくんだろう。何なら既に今日の一人を何度も思い返している。医者として活動している彼は、本当に誰よりも格好いい。それを一番間近で見てしまったのだから何度も思い返すのはしょうがない。どん底にいたを助けてくれた一人を好きになったのだ。今日みたいなことをされたら惚れ直すに決まっている。
(好きだなあ。悔しい。やっぱり好きなんだよなあ)
改めてそう思っては次の日また街へ戻った。
――まさか次の夏まで、会えないとは思っていなかった。