この腕は、伸ばしてもには触れられないのだろう。
細身だけれどそれなりに筋肉の付いた自分の腕を揚羽は見下ろしていた。利き手で反対の手を触って、揉む。何か有ったときに困らない程度の筋肉をいつも付けている。最近はちょっとだけ、食べる物が少なくて痩せたかもしれない。気を付けなければ。
手を握ったり開いたりを繰り返して、最後に強く握りしめた。骨ばっていて、指の長さも手のひらの大きさも厚さも、男の手そのものだ。マダム達を助けることも有れば、誰かを殺すことも平気で有る。女も抱くし、男のモノだって握る。何て汚い手なのだろうと、思う。後悔もしないし、そうやって生きてきて自分が成り立っている。トラウマも有るけれど、かけがえの無いものだって有る。そんなものだと、揚羽は思っている。だからこの手は汚いけれど、マダム達を助けられてタタラ達の手助けができるのは、多少なりとも誇りに思っている。
でも、それ以上のことは、出来ないだろうと、思ってもいる。
誰かを助けるだけで、誰かを幸せにするこは出来ないのだろうと、自分の腕を見る度に考える。自分が、こんな腕で誰かに触れるのが嫌だった。
タタラを助けるくらいなら喜んで差し出すだろうけど、を抱きしめるためにこの腕を広げるのは、多分躊躇うだろう。それくらい汚れているのが解っているし、自分にそんなことが出来るほどの価値は無い。にこの汚い腕で、触れない。
彼女を汚すような気がして、嫌だった。
誰かに彼女を取られることになったら、この腕を伸ばそうとして、躊躇って伸ばしきれないのだろう。自分が、彼女を大事に思っているから。
汚したくなんてなかった。自分勝手なこの気持ちで、彼女を捕らえたくなんてない。
彼女が白だとしたら、何物にも染まらない自分の青は、彼女を汚す色でしかない。
自分の手は色んな物で汚れすぎて、に伸ばせない。
自分とは違う人すぎて、彼女にこの腕は届かない。
声が届くだけ、まだマシか、と自嘲した。どうでも良い前向き思考である。逆に悲しくなってくる。
この腕が、に届くわけなんて、ない。どれだけ欲しいと思っても、こんな腕が伸ばせるわけもないし、までに届かないだろう。自分の気持ちは気付いてほしいが、気付かれたらそれはそれでどうしたら良いのか解らずにやはり戸惑うのだろう。この自分が、たった一人の女に振り回されてる。そうして自分の手が汚いことを再確認してしまう。
いっそのこと欲望の赴くまま、最高に最低なろくでなしになってしまおうか。
無理矢理攫って、抱いて、犯して、自分の好きなようにして。
そうして、泣きながらを抱きしめるのだろう。
アロやタタラとは違う感情。美しくて、とても醜い。
自分のモノにしたくて堪らないのに、触れた途端お前を傷付けたらどうしようと、臆病になっている。好きで好きで仕方が無いのに、怖かった。アロは全てを受け入れてくれていて、抱かれた。ではそんなこといかない。自分を受け入れてくれるか解らない。自分のことを理解してくれるかも解らない。自分が傷つくのが嫌だったから怖かった。汚いモノを見るような目で見られたら、自分は…何を仕出かすだろうか。激情に任せてを犯すのか、哀しみに暮れてから離れるのか。どれになっても、多分自分は泣いているのだろう。
揚羽は強く握り締めていた拳を解いて、腕の力を抜いた。人を殺してきたことに後悔したことはないし、自分の人生を呪ったことは有っても、生き続けて相応の場所で死ぬ覚悟をしている。
誰かを守れるほど強いこの腕は誇りになるけれど、には届かない。
こんな腕で、触れるわけがないと、揚羽は泣きそうな顔で自嘲した。