生まれ育った田舎すぎる田舎の村は、おかしな風習が数えきれないほどある。
それがおかしいと気づいたのは氷室俊介という男と関わってからだったが、おかしいと解ってもそれを止めるつもりも、正すつもりもなかった。
おかしな風習がなければ、数えきれないほどの人間が死んでしまうからだ。
助かる命がある。助かった命が無数にある。未来に繋げてくれた命が数多にある。その人たちを否定するには中村の人生は短く、世界が狭かった。そんなことをしたところで、別に何の得にもならないということも大きい。
だから、いつか幼馴染の神代一人と結婚して、子どもを産むのだろうと、受け入れていた。
それが村の決まりだったからだ。神代家を残すために、村で近しい年の女が嫁ぐ。それが神代一人の場合、中村だった。
幼馴染であり、許嫁のような存在だった。子どもの頃から、いつか神代一人と中村は結婚するだろうと色んな大人に言われて育った。そういうものなのか、と受け入れていた。
神代家のことを知れば知るほど、医術を垣間見れば見るほど、その対応もしょうがないことだと納得もするようになる。この家を、この血を、この知識を、ここで絶やしてしまったら、あの墓標たちに何と言えばいいのか。誰がこの村の人たちを救うのか。こんなところで絶えていいものではないことくらい、子どものでもしっかり解った。
だからこそ、自分が一人に嫁ぐことに異論はなかった。子どもの頃からの刷り込みだったので、いつか一人と結婚して夫婦になって、子どもを産むのだと、漠然とながら思い描いていた。
「一人は、それでいいのかよ」
「いいも何も、そういう家なんだからしょうがないだろう」
氷室俊介とも幼馴染のようなものだが、住んでいる地区が違う。俊介も村の人間だが、あまり掟に関して知識が与えられていなかった。昭和から平成にかけて、村の在り方もだいぶ変わってきている。子どもに対して知識を与える家、与えない者、与えた上で選ばせる人、多種多様な家族がある。氷室俊介は性格柄、村の外に羽ばたくと思われているのか、最低限だけ教えてやたらめったら村のことを注ぎ込まれてはいなかった。
俊介と関わるようになって、はこの村がおかしいのだと気づいた。
自分たちが将来結婚するであろうことが、異質なのだと知った。
そもそも、自分は一人と結婚することに異論はなかったが、一人がそれを良しとしているのか解っていなかった。
将来の結婚相手が決まっていることに対して俊介と一人の会話を聞いて、自分と一人が取り巻く環境はおかしいのだと、改めて気づかされた。
(そういうものだからと思って受け入れてたけど、一人は嫌なのかもなあ)
それもそうだろう、と納得する。だって村で年頃の女が今のところ自分しかいないから、宛がわれているだけなのだ。
同年代の子たちと比べると神代一人という人間はだいぶ大人びていて異質な雰囲気を出しているが、多感な思春期なのは変わりない。中学生になってから男女の性差がさらに出てきて、一人も俊介も人並みに色んな興味が沸くに決まっている。それがこの閉鎖的な村だったとしてもだ。
好きな子だってできるだろう。村で年が近い女が自分しかいないだけで、高校以降は色んな人に出会うのだ。そのときに、自分が一人の邪魔になるのは嫌だと感じた。
そもそもの話、自分が結婚して子どもを産むことが漠然としか想像できない。
(結婚はしないといけないかもだけど、それまでは別にお互い彼氏とか彼女とか作ったって構わないよね)
一人は自分と結婚するのは嫌なのかもしれないと思ったら、それなら自分だって人並みに恋愛というものをしてみたい欲が出てくる。テレビで見るような、漫画で読むような、そんな恋を少しくらいしてみたい。燃え上がるほど熱のあるものでなくていい。ただ、好きな人ができればそれは自分の人生の何かが足されたり、満たされそうでいいなと思ったのだ。
神代の家を繋ぐことも大事だが、自分の家のことも色々あって自身にあまり余裕がない。何せ中学生で既に親が二人ともいないのである。
母親はを産んだときに亡くなってしまった。父親も中学校に上がってすぐ、仕事の最中に亡くなりそのまま授け手になった。
親の残してくれた財産と保険金で高校には何とか通える当てがあるが、田舎特有のこのデカい家を管理しながら学校に通うのは中々辛いものがある。村の人達が助けてくれているが、相続税だの固定資産税だ何だのしんどいとしか言いようがない。
今まだ働いていないから自分の給料の税金などはないものの、これからのことを考えると大人になるのが本気で憂鬱だった。
だからこそ、一人が別にそういう気持ちがないのなら、自分だって他のことに目を向けて少しくらい寄り添ってくれる人を見つけたいと思ってしまった。家の関係でそこそこ格闘技をしていて喧嘩に強いので、少しだけ男の人に守ってもらうというのは憧れがある。一人とも一緒に身体を鍛えたこともあったし、体格差が出るまではのほうが強かった過去がある。
一人には一人の人生があるし、自分だってやりたいことも、村から出て見てみたいものだって沢山ある。
ただ、神代の血を残すことに異存はないので、将来的に一人に好い人が現れなければ自分が女の役割を果たせばいいのではないだろうか。
そんな考えをするようになってから、は中学校の間はあまり一人に近づかなくなった。顔を合わせれば挨拶はするし、家同士の関わりはあるけれど、それだけだった。元々神代家のやっていることは理解していても、手伝えるようなことはない。知識もそこまでない。こちらから接触しなければ、会うことなどほとんどなくなった。
一人自身あまりのことを気にしていない。会えば挨拶もするし、集まりがあれば普通に喋りもするが、それ以上もそれ以下もなかった。やはりその程度なのだろう。
別にそれでいいと思えた。神代一人は自分のような矮小な女に縛られるような人間でもないし、そんなことに時間を使える家でもない。人を救うことだけに正義感を傾け、倫理観があるのかないのか解らない。だからこそここまでの知識と技術を身につけ、Kの影の系譜を連綿と紡いできている。
自分がその家に入ることが想像できないので、やはりこのまま一人には好い人でも見つけてもらって、自分は村を出て好きに生きてみたいと思っていた。
そう思っていたのが中学のときだった。
(好きになっちゃったのは予想外だったな~)
大人になってから思い返して、神代一人に好意を持ってしまったのが一番驚くべきことだろう。中学生のときの自分に言ったら信じてもらえない気がする。でも中学で好きに生きようと思ったあとに色々あったのだ。
漫画やドラマのような恋に憧れたのに、結局記憶もない小さな頃から知り合っている男を好きになってしまった。別にまあ、この気持ちを持ったことは構わないのだが。
(でもやっぱ、一人が好きな人見つけてくれないとただただ私がツラいんだよねえ)
あの人が見つけて来た人なら、納得できるだろう。いや自分の他にも許嫁の候補がいたのならそこで諦めていたかもしれない。それくらい、あの男は好きになったら不毛だと思っている。
医療の知識もそんなにない自分が、一人と一緒にあの診療所で暮らすのは、正直無理がある。
色々考えた末に鍼灸師になったが、医者の知識には全く及ばない。あの男の知識の100分の1あるかどうかである。いやあの男の知識の幅が広すぎるのだが。
一人のためにも看護師にはならないのかと、村の人間に言われたこともある。あの男の隣にずっといられる保証もないのにそんな資格を手に入れたら、ただただ辛いだけではないか。もしもあの男が好いた女を連れて来たら、二人の仲を見ながら仕事をしなければいけないなどと、地獄にもほどがある。
そもそもあの男に近づけば近づくほど、幻滅されたときが怖くて仕方がない。脳みそも努力幅も、地力が違いすぎるのだ。こちとら中学校の数学ですら躓いてしまう頭である。一人がその程度で何かを思ったりする人間ではないことは知っているが、だからと言って他人に評価をしない人間というわけでもない。
(施術受けに来るときは村の話しかしないしな~)
彼女への贈り物の相談とかされれば安心できるというのに、男盛りであるはずの一人は村との勤めている治療院くらいしか活動範囲がない。村の唯一の医者なのだからまあそれも納得ではあるのだが。
それにしたって女のニオイが全くないのだ。彼女の話、元カノの話、風俗の話、性的な話、それらが全く一人の口からは出てこない。
(う~~~ん、不能ではないから時間がないか興味がないか……?)
たった一度だけ、神代一人に抱かれたことがある。
でもあれは一人の気の迷いというか、色々あって一人が心身共に弱っていた時期なので人肌恋しさからの過ちと言う他ない。
としては処女を捧げたのがあの男だったのは嬉しいことこの上なかったのだが、だからこそもうあとは一人が彼女や嫁さん見つけてくれれば終われるな~という気持ちなのである。
あの一回しか手を出されていないし、それ以降そのことに関して話題に出たこともない。もしかしたらあの夜のことを一人は覚えていないのかもしれない。
それくらいその時は一人が弱っていたのだ。筋骨隆々で医者としてどこまでも鋼のメンタルの一人がだ。当時まだ10代だったから弱るのも当たり前だったのだが、今では考えられないし、彼にしてみたらそんな風に弱っていたことは黒歴史のようなもので、覚えているのが苦痛なのかもしれない。
それはそれとして、その一回があるので一人が不能ではないし一応女を抱けるのが解っている。何かが違うと思ったのかもしれないが、自分との相性が悪かったのなら、他にも女を抱いたりすればいいだけの話である。
(顔はいいんだからちょっとくらい遊べばいいのに)
自分の施術を受けたあとに遊びに行ったところで、村の人間はとやかく言わないだろう。普段のこの男のことを知っていれば、息抜きくらいむしろして来いと言いそうな人ばかりである。
急患が出たときのことを考えたら遊ぶのも憚られるのかもしれないが、少しくらい余裕を持たないからこんなにも筋肉がガチガチなのではないだろうか。うつ伏せになっている一人の背中を揉みながら、はそう思ってしまう。
「はい、お疲れさまでした~」
「すまない、助かった」
数か月に一度、自分が勤めている治療院にやってきては施術を受けて帰っていく。
いつもいつも、眠れていない筋肉の硬さをしているねえと言い、一人はオペが長かったと返す。村の近況も少し話してもらうが、大体が若い奴が外に出て行った話や、どこの地区のどこの家の人が怪我しただの授け手になっただのという話である。色気も何もあったものではない。
いつか、一人の口から、結婚するという話を聞くのだろう。
それはできれば、早めがいい。
早くこの恋が終われば、この微妙な距離に住み、大したことのない話をする生活を終わらせられる。
この人が早く幸せになってくれれば、自分は諸手を挙げて喜び、そうして村から完全に消えられる。早く、早く、誰かこの人を幸せにしてあげてほしい。
こんなにも筋肉を硬くしながら、身を削りながら、それでも人を救い続けるこの男を、早く誰か助けてあげてほしい。独りきりであの診療所にいるこの人と共に、生きていける人が早く見つかってほしい。
早くこの不毛な気持ちを、終わらせてほしい。
「気をつけて帰ってね~村の皆にもよろしく!」
今日も好きになった人は格好良かった。あれがヒトを救う男で、どんな人間だろうと助けて来た背中で、これからも無数の命を繋いでいく人だ。好きになる前から顔はいいと思っていたけれど、今でも変わらず顔も中身も格好良いのだ。
次に会えるのは、年末に村に帰るときだろう。そのときにでも彼女ができた報告でも貰えればいいのにと、夏と冬に帰ることを考える度に、はいつもそんな想像をしてしまう。本当に言われたらどういう顔をすれば解らなくなるくせに、だ。
好きな人に好きな人ができますようにと、そんなことをは考えながら一人の背中を見送った。