04


村に風が吹いたと、誰かが言っていた。

富永という医者が村に来て、KEIさんと再会することになった。
そのあとは自分の意思とは無関係にとんとん拍子で話が進んだ。どんなことを言われようと自分がやることは目の前の患者を救うことだけなので、医師免許を貰えようが貰えまいが正直な話どうでも良かった。取ったところで村での掟も因習も変わることはなく、法律に反していようが自分は人を救っていくだけだった。

ただ、母親と父親を見ていたら、取れるなら取っておくべきだと思ったのだ。
もしも村の外で自分の大事な人が事故にあったときに、父親と同じ道を辿るのは、嫌だった。
ただそれだけだった。

──と結婚して、もしも同じようなことになったら。

自分は、耐えられる気がしなかった。
父親が失踪した当時は嘆きもしたが、それでも父親本人を責められないのは、気持ちが解ってしまうからだ。自分たちが正規の医者じゃないことで、母親を救えなかった。もしも自分がを同じ理由で助けられなかったら、自分のこの技術の意味が見いだせなくなってしまう。今までの人生が、崩れてしまう気がするのだ。
影の一族の自分が表に出ることは許されないかもしれない。けれども表舞台に引っ張り出したのはKEIさんである。それなら誰も文句は言えまい。西城一族の人自らが動いてくれているのだ。
あとはただ、いつもの通りに目の前の患者を救うだけだった。

たった数か月で色々あったが、様々な人の尽力で医師免許を取ることになる。
今代のKとして生き、次代のKの育成にも手をつけなければならない。KAZUYAさんのメスも出てきて、村を出て医師免許を取ってから何だかんだ忙しく過ごしていた。
色々やることが多いが、街に下りることが増えたので、にも逢いに行ける。

が冬に戻ってこなかったのと、身体もメンテナンスをしないといけないので連絡を取った。
遅れた新年の挨拶を形だけして、いつものように予約を取っていく。
の所に行くときは、薬の買い付けの帰りもあれば、の治療だけが目的のときもある。どちらにしても不在にすることを村の人たちには伝えていた。
街に行くときは大体に逢いに行くことを、村の皆が知っている。伝える度にニヤニヤされ、朝帰りになっても構わないだの何だの言われていた。

「K先生、もう朝帰りは期待しないけんど、飯くらい一緒に食べて来たらどうだい」

いつからかそんな風に言われるようになった。冬の時期でも明るいうちに帰って来たりするからである。
自分の気持ちは村の人たちにダダ漏れなのに、肝心のにだけ届いていない。それが皆も解ってから、下卑た話は消えて普通に応援をされるようになった。

「飯くらい」とは簡単に言うが、これが中々難易度が高い。子どもの頃ならば、診療所に来て食べていくように言えていたのに。
の仕事の終わる時間と、自分の帰る時間。の施術で取れる予約の時間。これを考えていくと安易に夕飯に誘うのも難しいのだ。にも生活があるし、の受け持っている患者もいる。
そもそもの職場である治療院の電話越しにそんな誘いをするのは、ふしだらのような気もする。相手は仕事中である。しかも自身が必ず電話に出るわけでもないので、ただの治療院利用者として振る舞うしかない。
そんなわけで、に逢いに行っても下手をすれば夕方前に村に帰って来ることがあるのだ。流石に村の皆も朝帰りだ何だ言わなくなり、もっと堅実的な意見を言うようになった。せめて夕飯を一緒にしてこいと、言われるようになる。
患者のためならばどんなときでも飯に誘えるので、村の人達からしたらそれくらいはできるだろうという意見だった。自分自身、治療が必要な人間には遠慮なく声をかけられるのににはそれができないのが不思議でしょうがなかった。

医師免許を取り、村を離れることが増えた。Kとして名乗り活動するようになる。
──そんな話をするのなら、今回は流石にそういう場に、夕飯にでも誘った方がいいのでは、と思った。
思ったのだが結局誘えなかった。に対してどうにも受け身になることが多く、自分から何かを言うことが減っていた。
が、自分の意思で村を出てから、今までどうやって接していたのか解らなくなっている。

村にが帰って来る度に、皆から結婚の話をされている。その度に、は「解ってる」と言っている。
いつかね、とも言わない。
村に戻って来るとも言わない。
結婚をするとも、言わない。
──嫌だとも、言わない。
解っていると、ただそれだけ言う。
残酷な女だと、いつも思う。いっそ好きではないからと言われたほうが、まだ気持ちが整理できる。自分が諦めるかは全くの別問題なので、気持ちと将来を整理するだけだが。
ただ受け入れているその発言だけで、いつか自分が本気で望めば、来てくれるのではないかと、期待してしまっている。
それがいいことなのかどうかは解らない。
それで、お互いが幸せになれるのかは、何も解らない。
電話をすれば、きちんと予約を取ってくれる。治療院に行けばきちんと施術をしてくれる。話をすればきちんと聞いて会話をしてくれる。村に帰ってくる度、顔を見せてはくれる。
友人の枠でしかない。幼馴染みの枠でしか、ない。それでも、自分との結婚の話は解っていると言う。
のその解っているという発言だけで、いつまでも待ってしまう。
以外に平気な女性がいないからだ。

村から出て行ったを忘れようとしたこともある。自分を置いていく人に、未練を持ち続けても非生産的だからだ。
けれども街に出てどんな女性を見ても、言っては悪いが有象無象にしか見えなかった。パーツの形や位置が違うだけだと思っているので、別に自分に他人への顔の好みなんてものはない。本人が気にしているのならそれは尊重するべきだとは思うが、自分から他人に対してそんな感情は沸いてこなかった。
そもそも結婚よりも子どもを作ることに重きを置くなら、顔も身体も何でも良いと言うほかない。きちんと妊娠してきちんと産める元気な母体ならそれでいい。
医者としても人としても最低なことを考えながら、はたと気づく。

以外と、身体を重ねることができるのか、と。

(……、…………無理では?)

緊急時以外で人の体液を触るのが、そもそもあまり好ましくない。体液というだけで不潔という概念が医療の観点としてあるからだ。いや緊急時でもあまり触るのはよくないのだが。
他人の作った食事が食べられないほどでもないので、そこまで潔癖ではないと思っていたが、性行為に関してはあまり一般的な感性がない。医者としてならどんなものでも触れるが、じゃあ私生活の中で素手で女性を触って性交できるのか、と考えたときに、以外にできる気が全くしなかった。
とは一夜を共にしたことがあるので、彼女は抱ける。数年経った今でも抱ける自信がある。彼女の体液なら、触れるのだ。
そこまで考えてそもそも、欲情して勃つのはだけだということにも気づいた。
頭を抱えるしかない。他の女性を見ても、そもそも抱きたいという感情が出てこない。有象無象にしか見えないのだからそんな感情が出てくるわけがなかった。健康であるならそれでいいし、治療が必要なら患者として接するだけという意識がある。生理現象として勃つことはあるかもしれないが、コトが終わるまで萎えずにいられるかどうか自分自身が解らないので無理だろうと考える。
人として何かがおかしいのかもしれないが、がいるので決定的に欠落しているということはないと自己完結した。がいなければ性行為はしないまま過ごしていただろう。

そんなことを本気で考えたことがある。
精神的にも肉体的にも以外は多分無理だろうという結論に至り、だがが戻ってこないなら結婚は諦めるしかないかと思っている。の解っているという言葉だけを信じて、待っている。

村で独りだとカルテを見たり論文を読んだりして思考にふけるが、富永が来てから村を出て活動することが増えて、必然的に医療以外のことも考えるようになった。のことがその最たるものになる。
元気でいるのか。つつがなくやっているのか。変わったことはないか。村のことは忘れていないか。

(俺のことは、少しは思い出したりしているか)

忘れられるのは寂しいと感じる。大人たちに置いていかれてばかりなので、せめては戻ってきてほしい。
が就職する前に無理矢理にでも村に戻らせれば良かったなどと、思うほどだった。
自分が村にいるだけだったときは、数か月に一回しか逢えなかった。それもタイミングが合わなければ、年に1回か2回にまでなってしまう。
これからは、逢いに行く時間が増やせる。
結局のいる治療院でしか逢えないが、それでも機会が増やせるのはいいことだろう。次に逢うとき、何を話そうか。何を話せるだろうか。は変わらず、笑ってくれるだろうか。
予約を取ってしまえば、当日まであっという間だった。


***


「えっ? 何、どうしたの一人。全然知らない人の筋肉になってる」

冬に逢えず春になってしまっているので、数か月ぶりではある。がそんなに驚くほどの身体の変化を、自分が解っていなかった。

「そうか?」
「何々、どうしたの何かあった?」

何故なのか──富永が来てから単純に眠れる時間が増えたからだろうと当たりを付け考えを纏めていたら、が先に会話を続けた。

「とうとう、彼女でもできたとか?」

すぐさま反応ができなかった。この女は一体何を言っているのか理解ができなかったというのが正しいかもしれない。
好いた女にこんなことを言われて怒らないだけ大人になれたと思っている。

「……何故そうなる」
「え? 一人って女でもできないと眠らなさそう」
「………………………」

前言撤回して怒っていいかと流石に思った。お前がいたら眠れるんだが?
何を言えばいいのか、何て返せばいいのかも考えが纏まらず黙ってしまう。
実際がいなければ熟睡できないので言ってることは遠からず当たっているが、何でからこんなことを言われないといけないのか。わざわざこうやってここにまで来てを指名して治療を受けているのかが、全く通じていない。
それはとりあえず置いておくとして、今回は大事なことをしっかり話さなければならない。

「村に、医者が来た」
「んん? 医者? ん? 何か前も来てなかったっけ?」
「そいつはもう村を出ている。別の医者が、村に来た。……今は診療所で共に治療をしたりしている」
「……、……は? え? あ、やべ打ち方間違えたごめん。痛くない?」
「おい。大丈夫だが」
「動揺しちゃったじゃん。ええ~? ちょっとちゃんと全部話してよ」

冬に新しい医者が来たことを言えば、思いのほか食いつかれた。
そこにだけ、思っていた以上に、食いつかれた。

「えっ一人よりも若いの? へえ、どんな人? あれ、それ私と同い年じゃない? へえ~~」

言われて気づいたが、そういえばは年下だった。学生の頃はそれが大きく感じたけれど、卒業したら一つ違いなど些細なことでしかない。お互い名前を呼び捨てているので年が違うことをすっかり忘れていた。
そうか、富永と同い年なのか。
他にも話さないといけないことがあるが、が富永のことを聞いてくる。

「ていうか男の人なの?」
「当たり前だろう」
「そうか~」

何がそうなのだろうか。診療所に二人きりになることもあるのに、以外の女なぞ入れると思っているのだろうか。男なのが当たり前だろう。でなければあの診療所で働かせていない。
富永のことを話しているときのが、少し楽しそうな、声が弾んでることが、気になる。

「はい、お疲れ様でした」
「すまない、助かった」

近況を話し、気づいたら無言になっていて軽く寝ていたりもし、あっと言う間に施術が終わっていた。
肝心なことを話しておらず、会計終わりに伝えることになった。

「――医師免許を、取った」
「へえ、医師免許。そうなんだ。…………はあ??? 何て?? 何つった? は?」

施術中だったらまた打ち方を間違えていたかもしれないくらい、が驚いていた。
間抜けな顔が少し可愛らしく見えるのは、惚れた欲目なのだろうか。こういう表情も昔と変わることがなく、安心できる要素だった。置いていかれてからがどんどん変わっているように感じられる中、変わっていない部分を見せてもらえるのは何故か安心するのだから、縋りつきすぎなのかもしれない。

「医師免許を、取ったと言った。――KAZUYAさんは知っているな?」
「そら知ってるっつうか、本家のKじゃん。いやでも5年前に亡くなったんでしょ?」
「そうだ。そのKAZUYAさんの妹さんとお会いする機会があった」
「あー、えーと、西城KEIさんか」

Kに連なる一族ではないが中村家は昔からこの村で連綿と続いている家ではあるので、にもK関連のことは叩き込まれている。家系図はまず覚えさせられると学生の頃に教えてもらった。
忘れていなかったらしくフルネームで返されたので、今は結婚していて苗字が変わっていることを伝えた。
富永が来たこと、警察も来たこと、KEIさんの計らいで医師免許を取るに至ったことを掻い摘んで話した。

「いやさあ。それ今言う?」
「……」

ある程度一緒にいたので解るが、これは何となくが怒っている。
端折り過ぎたかと思ったが、多分時と場所を間違えたようだ。それは本当に自分が相応しい場を用意できなかったので何も返答ができなかった。

「次の客入ってないとは言ったけど、今そんなくそ重たい話するかね普通。改まった場で言うもんじゃん」
「……お前も、忙しいだろう」
「いやアンタに比べたら普通だわ」

言外にきちんとした場で話せと言われて、流石に反省するしかない。誘えなかった自分が悪いので、反論も何もできなかった。も忙しいだろうと思い、断られたときのことを考えたら尻込みしてしまった自分が意気地なしではある。

「まあでも良かったじゃん? 堂々と医者ですって言えるようになって。村の外で目の前で誰か倒れたとき、歯痒い思いしなくて済むね」
「……ああ」

母のことを言われてもいるし、それ以外でも村の外では治療が出来ずに後悔したことをに話したこともある。それ全部を引っくるめて、そう言っているのだろう。
もっと早くKEIさんに会えていれば、などと言わない。これからは、きちんと患者を救っていけることをは喜んでくれている。未来を見ているその言葉は、何故か自分の背中を押してくれている気がした。

「これから、外に出る機会が増える」
「あ、そうなの? 薬の買い付けも楽になりそう?」

お前に逢える時間が増えると、そう思っていたのだが予想外のことを言われた。いや確かに、薬の買い付けは楽になるのだが。自分がだいぶ俗物的なことを考えていたと気づく。

「いや、それよりもKとして動くことが増える。西海病院に非常勤で勤めることにもなる」
「へぇ、大変そう」
「他人事だな」
「他人だからねえ」

存外この軽口でダメージを受けるのだから男は打たれ弱いというのを実感する。
実際他人事なのだが、の口からそう真っ正面で言われると心臓が掴まれるような感覚を受ける。別に今日明日で家族になっても構わないと言うのに、は他人事でしかないという事実が心を抉ってくる。
はさらに失礼なことを続けた。

「一人って誰かと働けるの……?」
「お前は俺を何だと思っている」
「救命猪突猛進」
「…………」
「心当たりあるんでしょ」

そこまででも、ない。そう反論しそうになったが、一般人と比べたら自分が動いてしまうのは否めない。救命のためなら知恵を振り絞るのも嫌いではない。言われた通りなのかもしれないと少し納得するので何も返事ができなかった。

「まあでも病院ならあんたの知識存分に生かせるね。村ってやっぱ高齢化で症状も偏ってくるから、若い人の症状とか実際に見れるのはいい勉強なるよね~」

自身がそう言って村に戻らず就職したのだ。これも言いたいことが解らないでもない。実際街のほうが多種多様な人間がいての腕は年々上がっていると一人自身感じている。

「良かったね。頑張って一人、応援してる」
「ああ。……ありがとう」

多少なりともKとして動くことに不安はあったけれど、にこう言われたらやりきるしかない。引き留めるでもなく、今後のことに関して疑問を出すこともなく、簡単そうに背中を押してくれるに対して多少の寂しさはあれど、やらねばならぬことをまた強く認識した。
あらかた話さねばならないことは話し終え、次はいつ逢えるかを考えれば夏にが村に戻って来るかどうかだろうか。

「そういえば、盆は帰ってくるのか?」
「うん、帰るつもり。年末は仕事入って帰れなかったからね~流石に掃除しに行かないと」
「そうか。日程が決まったら連絡してくれ」
「うーん、まあ、決まったらね」

いつもいつも、戻ってくるときは連絡をしろと言うが、聞いてくれた試しがない。年末年始辺りの休みは想像しやすいのだが、盆の休みは毎年違うし、勤務先の状況次第で変更もあり得るらしい。
この返答だとまた連絡せずに帰って来そうなので、釘をさしておいた。

「迎えに行くから連絡しろ」
「え? いや別に夜中帰るわけじゃないから」
「いいから」
「うん? うーん、解った」

独りで帰ってこれることも解っている。そんな夜遅くに戻って来ることがないことも理解はしている。
それでも、連絡さえくれればを迎えに行きたいと思っているのだ。逢える時間を増やしたいと思っているこの気持ちが全くもってして通じていない。他の村の人間が戻って来るときここまで言うわけもないのに、は理解をしない。どういう考えでいるのか逆に気になる。
あからさまに女としての扱いをしていることを、はどう考えているのか。気づいていないのか。
のことを好いてから女性として扱うようにしているのに、彼女はさらりと受け止めながらもただ流すだけか、こちらが押し通すまで頑なに否定するかだった。照れることもなく表情を変えることもない。子どもの頃からそこも変わりがなく、自分が男として見られていないことを感じ取れて腹の奥底に何かが溜まるような感覚を受ける。

「気を付けてね~」
のほうこそ、気を付けて帰れ」
「ははっありがとう。またね一人」

女性の独り暮らしなのだ。心配だってするし、何かあってからでは遅い。村とは違って色んな人間がいる街で、無事に家に帰るように願いながらこう言うしかない。
何なら自分が街に下りているときはこの職場から家まで送って行きたいのだが、流石にそこまでしている時間的な余裕がない。田舎はバスの終電が早すぎる。
そこまでしてもいいかどうか、解らない間柄なのもある。やはり早く村に戻ってきてほしい。

今後はもっとに逢える時間が増える。昔のように、また一緒に飯でも食える日が作れるかもしれない。
が戻ってくるまで待ち続けられるつもりではあるが、に逢えるならできる限り逢いに来たい。優先順位は色々あるが、以前よりもに逢うハードルがだいぶ下がっている。
身体のメンテナンスの意味でもだが、自分の精神的安定のためにもには近いうちにまた逢いにこようと考えて、自分が思ったよりもこの状況を享受して楽しんでいるのに気づいた。
久しぶりに作り笑いではない笑みが、できた気がする。

「ああ、……またすぐ来る」