05


夏が来た。
医師免許を取ったのがついこの間だったので本当に盆まですぐだった。村の人達から盆には孫が帰ってくるだのを聞いて、はいつ帰ってくるだろうかと想いを馳せる。
連絡しろと言っているがいつも何の連絡もなくの実家に帰っており、唐突に診療所に顔を出しに来るので迎え入れる体勢がない。
そろそろ盆である。連絡は、ないままだった。
そもそもまたすぐ逢いに行くと言っていながら自分自身逢いに行けていない。色んな場所に行ったり来たりで中々まとまった時間がどうにも取れなかった。

(冬に戻ってこなかったから流石に今回は帰ってくると思うが……)

実際盆は帰ると本人が言っていたので、帰ってくるハズ、である。それが盆真っ盛りのときなのかズラして来るのかが全く解らない。
休みが取れなければ9月にズレこむことだってあり得る。実際仕事の関係でそんな年があった。
連絡くらい、欲しいと思う。
それすらする程の男でもないのかと考えたら仕事中なのにベッドに戻りたくなってしまうので、頭を軽く振って考えを追い出した。

連絡がないままヤキモキし、ある日往診しに行った帰りにの家の前を通れば雨戸だけでなく窓も開いていて静かに仰天した。

(……帰ってきているな?)

何度見てもの家の窓が開いている。家の中から人の気配もするので、帰ってきて早速掃除をしているのだろう。

「帰るなら連絡をしろと、あれほど……」

言っても聞かないのがである。あれでだいぶ頑固で猪突猛進なのだ。で一人のことを猪突猛進と言うが、お互い様である。必要ないとが思ったらしないで済ましているのだろう。

「……」

数秒考えて、往診は全て終わって帰るだけだから、と自分と診療所にいる富永に向けて言い訳をしての実家のチャイムを鳴らした。
まだ日も昇っていて明るいし、少しくらい遅く帰っても平気だろう。
チャイムが鳴り終わってすぐに家の中からの足音と声が聞こえてくる。

「はーい! あれ一人!? どうしたの」
「どうしたも……帰ってくるなら連絡しろと言ってるだろう」
「いやお客さん入りそうだったから休み確定が難しくてさあ……。ていうか往診の帰り? お疲れ様」
「ああ。ありがとう」

麦茶作ってるけど作ったばかりで冷えてないから出せないと言われ、家に上がりに来たわけではないなどと断る。

「早速掃除をしているのか」
「そう。どうせすることないしねぇ。あとで診療所に顔出そうと思ってたんだ。お菓子買ってきたから持ってって」
「……そうか」

診療所には富永がいるので無駄足になることはないだろうが、富永に会わせるのは何だか釈然としなかった。
先に自分が顔を見れて良かったなどと考えている。富永のことを話したときの、少し弾んだ声音が忘れられない。
会わせたくないと、そう思って、いる。
の持ってきた菓子折りを貰えば、が口を開いた。

「あ、ねえ。どっか一人の時間空いてるときある?」
「今日ならもう往診は終わったから、いつでもいいが」
「ん~こっちもいつでもいいけど、医師免許のお祝いでさ、無料で治療するよ。……ていうか、それくらいしか思い浮かばなかったんだけど。ごめん」

既に今菓子折りを戴いているので気にしなくて構わないと伝えるが、どちらも気持ちだからと押し切られた。そもそも治療の分は医師免許のお祝いだと続けられる。

「うちの治療院だとさ~ちょっとだけサービスはできるけど無料でとかはできないからね。村にいる間無料で治療プレゼント。……しょぼくて申し訳ない」
「いやそんなことはない、助かる。だがいいのか? 道具の金額や出張代金くらいなら払うが」
「道具自体はそんな高いもんじゃないからいいよ~。これくらいしか思い浮かばなかったから、まあ時間があったら受け取ってよ。嫌ならいいんだけどさ」
「いいや。……家の掃除もあるんだろう? いつまでいるんだ?」
「とりあえず二泊三日はいるつもり」
「解った。明日掃除も手伝ってやる。そのあとでいいか?」
「は? いや、掃除はいいよ。何言ってんの」
「いい。三日目は昼前には村を出るだろう? それなら明日か今日しかない。今日は片付けないといけない仕事があるから、明日来る。男手もあったほうが楽なこともあるだろう。手伝う」
「いや、いやいやいや、掃除手伝うなんて別に……。そもそもうちじゃなくて診療所に行って治療するの考えてたんだけど。ていうかそんな無理して時間作んなくていいよ。また何か持ってくるし」
「いい。明日貰う。いつもどこかしら終わらなかったと言いながら帰っているだろう。明日10時くらいに来る。昼飯もイシさんに作ってもらったのを持ってくる」
「えっ、いやちょっと、いいって、あの」
「いいから。……また明日」
「ちょっと一人! ……ええ……行っちゃった……」

一方的に約束を取り付けて、の家をあとにした。
が村に来るとき、急患がない限りは街に戻るときの見送りは必ず行っている。今回は、毎日の顔が見れるかもしれない。急患が入らないことだけを祈った。

早足で診療所へ帰り、盆で戻って来た家庭からの差し入れだとからの菓子折りを広げた。
富永にどこのご家庭なのか聞かれたが、すぐに街に戻るらしいからと何も告げずに流した。
のことを、富永には話していない。別に話す必要性を感じていないからだ。それ以外の理由は、大してない。
会わせたくないと思っていて、会わせないようにしているなんて、そんなことは、多分ない。
に渡された菓子折りが去年よりも大きなことに、心が少しザワつく。富永がいることを話したせいだろうとは解るのだが、自分のためだけに用意された物ではないというだけで、こんなにも心が乱れてしまう。

「富永すまない、明日ほぼ一日診療所を空ける」
「はいはい了解です」

街で急患を見つけたときなぞ何も言わずに一晩帰ってこないので、今回もそんな感じだと富永も思っているのだろう。患者がいないだけで個人的には急患並みに優先度が高いので間違っていない。
夕飯を作りに来てくれたイシさんに、明日は昼飯を外に持っていくので別で作ってほしいことも伝える。
何故なのか聞かれ、富永がその場にいなかったのでの名前を出した。掃除を手伝うことも伝える。

「ほお。ほお~~~~」
「……」
「精力つくもんのがいいかね」
「そういうのはいいです」

つまみやすいものにしてほしいとだけ伝えた。鰻やにんにくを出されても困る。

「子どもの頃はすぐに結婚するんじゃと思っとったんにどうしてこうなったんだべ……」
「……家のせいでは」
「そこでのせいにしないのがK先生はエライのぉ」

さっきからコメントがし辛すぎるので変に受け答えせずに流した。
が村に戻ってこないせいなのは、まあ確かにそうなのだが。
にもの人生があるのでそこは何とも言い難い。が本気で嫌がっているならもっと村から離れた場所に住めばいいし、村から完全に出て行けばいいのにそれもしない。繋がりが切れない限りは、自分はずっとを追うのだろうと思う。

はいつも食料は持って帰って来とるからの~の分も入れてやりてぇがまあK先生でも消費できるくらいの量にしとこうかね」
「助かります。よろしくお願いします」


***


次の日は快晴だった。掃除日和と言えるのだろうか。
いつも通りの時間に起き、朝飯を食べ、軽く仕事をし、の家に向かう。富永によろしく頼んだがどこに行くかも、何をするかも全く伝えていない。村にいることすら富永は解っていないかもしれない。
イシさんには伝えてあるので、何か大事があったら呼びには来てくれるだろう。
の家のチャイムを昨日と同じように鳴らせば、の足音が聞こえる。

「はーい、一人~?」
「ああ」
「お疲れ様……じゃない、おはよう。仕事の癖で何かお疲れ様って言っちゃうんだよねごめん」
「……富永も似たようなことを言っていたな」
「あ~診療所に来た人だよね。皆似た感じになるのかな」

20歳にもならない頃に村井さんが診療所からいなくなってから、ずっと独りきりであの診療所にいたので一人はそういうことがよく解らない。に誰かと一緒に働けるのか疑問に思われるわけである。

「面白いんだけどお客さんとか村の人にはきちんと挨拶できるんだよ。同業とかの人には『お疲れ様です』て言っちゃうの。不思議」
「ほう」
「一人を同業にするのはちょっと失礼だけどね~ごめん」
「? 同業だろう」
「いや医者と一緒にされたくはないわ……医療従事者ではあるけどさ」
「同じだろう。診断できるかどうかや薬が処方できるかどうかは大きいが、患者を助ける広義では変わりがない」
「すごい格好良いこと言うね。ありがとう」
「……いや……」

照れてしまったのは、不可抗力だろう。
の家に上がり、冷えた麦茶が出てくる。気にしなくて構わないが、気遣いはありがたい。

「ねえ本当に平気なの? 往診は?」
「富永もいるからな」
「いやいやあんた」
「休みも必要だと言ったのはお前だろう」
「いや休みなよ。何にも考えずに寝たりしなって」
「動いてるほうが考えなくて済む」
「ああ……一人そういうタイプかあ」

学生の頃なら独りで静かに過ごしてるほうがゆっくりできたが、今は何かしてるほうが何も考えなくて済むようになってしまった。
そもそもに逢うためなので自分的にはプラスにしかならない。

「掃除はどこが残ってるんだ?」
「やる気すぎる……。うーん……あの、手の届かないところ拭いてほしいんだけど……か、換気扇とか……」
「ああ、解った」
「ごめんね。ありがとう」
「いいや」

こちらから言い始めたことなのにはひたすら腰が低い。こちらのエゴを押しつけていることを理解していないことが、不安になる。こんなにも押しに弱かっただろうか。

「椅子がさ、ないんだよね……居間はローテーブルだしここ出るときに使わない家具は大体処分しちゃったんで、掃除するときに足場がなくて困ってたんだ……」
「お前……」
「掃除で必要になるなんて解らなかったんだよ……。自分の勉強机の椅子残しとけば良かったなんて思わないでしょ。毎回何かしら買おうと思うんだけど忘れちゃうんだよね。持ってくるの面倒だし」
「俺を呼べばいいだろう」
「一人を掃除要員で呼ぶの恐れ多すぎる」
「別に、力仕事でも掃除でも気軽に呼べばいい」
「あはは、村の人達に怒られちゃうよそんなの」

なら気軽に呼んでくれて構わないし、相手なら村の人達も何も言わないだろう。自分の気持ちがダダ漏れだからだ。
は独りで大抵のことをしてしまうので、手伝えるのなら喜んで手を貸すのに、全くもってして手伝ってほしいなどと言わない。
弱音も、吐かない。
それでも彼女が女性であり、家族のいない天涯孤独なのを知っているので、独りで大丈夫などとは思わないようにしている。

「一人の身長いいよね。電球変えるのも楽そう」
「まあ、一般家庭のなら届くだろうが」

はそこまで小さいわけでもないが、一人の身長が規格外なのは否めない。
しかし診療所の天井は大体高いので屋内用のしっかりした脚立が用意されている。

「脚立はないのか?」
「外用のデカいのしかない。雪かきとかで使うやつ」
「ああ、なるほど」

掃除用具をから貰いながらそんな軽口を続ける。掃除するべき場所を教えてもらい、お互いそこから真面目に掃除を始めた。



昼時まで掃除をし、と共に昼飯を食べる。イシさんに作ってもらったおかずをにもつまませた。

「イシさんの卵焼きだ~。懐かしい。美味しいなあ」

そう言って笑いながら食べるが見れたので、無理矢理にでも来て良かったと思った。
中学生で天涯孤独になったに対して村の皆が親切にしているが、中でもイシさんは食事の面でに世話を焼いていた。一人の母親が死んでからは診療所でイシさんの食事を共に食べたりもした。
将来のためにもに料理を教えていたのはイシさんである。なので卵焼きも同じものが作れるはずだが、独り暮らしだと調味料を買い揃えたりなどしないから全く同じ味にはならないらしい。そういうものなのか、と聞いていた。人によるとは言われたのでさらにそうか、と聞いておく。
イシさんに料理を教わったので独り暮らしをするのに困らないとは笑って言うが、イシさんとしては花嫁修業のつもりで教えていたことを村の年寄りたちしか知らない。

「何か、貰ってばかりじゃない……? お金払おうか」
「そうか? 別に俺が持ってきた物を分けているだけだろう」
「いやだって掃除もしてもらってんだけど……」
「したくて手伝ってるからな」
「聖人か?」

がそう思うのならそうなのだろう。下心しかないのだが。いや不純な下心でもないし遊びでもないので許されたい。

(不純……では、ないと思うが)

遊びでもないし致したいだけでもない。本気で結婚を考えている相手である。そのためにも行動してるだけなので不純ではない、はず、である。
致せるなら致したい気持ちが少しばかりある辺りが、不純ではないとハッキリ言いきれない理由だった。
こんな気持ち、以外の異性と二人きりになったとしても感じたことがないので、やはりしかいない。

自分のことを置いていって外に出ていく人たちを待っていることほど、不毛なことはない。帰ってくれば「元気で良かった」と返せる程度の気持ちでいいと、一人は思っている。
そう思っているのだが、にだけはそれができない。どこにいるかも解らないわけでもなく、顔を忘れるほど長い間いなくなることもない。それでも彼女は一人が行かないでくれと言ったただひとりの女性で、けれども村を出て行った。
身体で繋ぎ止められるのなら、致してしまうだろうと思っている。孕ませてが村にいるようになるのなら、自分は最悪そこまで墜ちるような気がしていた。
それをしないようにだけ自分を律し、いつかが戻ってきてくれるのを祈るだけだった。

本気で自分が望めば、村に戻ってきてくれるかもしれない。結婚を、してくれるかもしれない。ずっと自分のその願望をにハッキリ伝えようかどうか悩み続け、とうとう30歳近くなっている。
言ってしまえば何かが変わるのだろうし、キッパリ縁が切れてしまうのかもしれない。それを受け止められるかが解らず、ずっとこの関係が続いてしまっている。
自分から村を出て行ったが、自分から戻ってきてくれなければあまり意味がないような気がしていた。

(こんなことを考えているのは、不純なのかもしれないな)

にだけしかこんなことを考えていないので不純だとはあまり思っていないが、最終手段として孕ませようかと考えているのは男として大層酷い。に気づかれない方がいいのか、気づかれたほうがいいのかも解らない。
どうでもいい話はできても、いつ村にきちんと帰って来るのか一度も聞けずにこんなにも年月が経ってしまった。
今回も聞けずに終わりそうである。



昼飯を食べ終わり、そのまま午後も掃除をして過ぎていった。

「いや予定よりめっちゃ早く終わったわ、ありがとう一人」
「いいや。……他は本当にないのか?」
「すごい疑いよる。そこまで細かくやってもどうせまた埃っぽくなるしさあ」
「……それも、そうだな」

もう少し戻って来る頻度を上げてもいいのでは、と思ったが口に出さずに堪えた。
もしも結婚したとしたらこの家をどうするのかを、少しだけ考える。診療所に共に住むのか、この家でも暮らすのか。富永がいる今、診療所を離れてこの家に夜だけでも住むのはアリなのかもしれない。
妄想でしかないのだが。

「一人疲れてる? 一人が大丈夫ならこのまま治療しちゃうけど」
「俺は構わんが、こそ疲れていないのか?」
「今休んだらお尻に根っこ生えそう」
「なるほど。なら今で構わん」

居間の隣の客間であろう部屋に通され、畳まれていた布団を広げられる。
布団の用意が周到すぎるので、もしかしてここで今は寝泊まりしているのだろうか。

「治療用のベッドじゃないから首しんどいかもだけど、まあ顔は横向いてもいいから。上は脱いでもらって、あとごめんズボンのベルトとボタン外して~」
「……ああ」

躊躇なく言われ、治療なのだから相手は気にもしていないのだろうと解っているが、それでもこの危機感のなさは大丈夫なのかと不安になる。
しかも別に部屋から出て行く様子もないので、目の前で上を脱いでズボンのベルトとボタンを取らないといけないらしい。羞恥心という感情はあまりないが、流石に思う所が出て来る。

「ズボン脱げるなら脚も打てるけど」
「いや……それは流石にいい」
「そう? じゃあできる範囲でやってくね~」

事もなげに言われて流石に断ったが、こちらが了承してズボンを脱いだら彼女はそのまま治療をしたのか。いや、見られたところで恥ずかしいという感情はほぼないのだが。医者をやっていると、裸体を見ることや治療のために開けっ広げになっていくことは誰しもあり得る。それが彼女もそうなのだろうとは、解るのだが。
この対応を見るに男のこういう治療が初めてではないのだろうと悶々としてしまう。

「下着姿で治療を受ける男も……そういう患者も、いるのか」
「いるよ~。治療院の施術着が入らない人とか、しょうがないから上は裸で下は下着でって感じ。タオルで腰回りは隠して施術するけどね。こちらとしても見ませんよっていうタオルワークを心がけてる。あと暑がりな人とか上を着ない人もいるかなあ」
「……なるほど」

自分が浅ましかったと言うか、下卑た考えだったと反省した。

「痛かったら言ってね~」

施術のときのお決まりの言葉を言い、はいつも通りに施術を始める。
うつ伏せになって気づいたのだが、この布団やはりが使っていたと確信した。
の匂いがする。

(……がいいのなら、構わんのだが)

構わないのだが、自分の感情的には何とも言い難い。
が昨日ここで寝たのだと理解してしまえば、淫らな想像くらいしてしまう。
最後の手段として孕ませようか、などと考えている自分にとって、少しばかり拷問のように感じられた。
と一夜を共にした以外、他の女性を相手にしたこともない。する気がないのもある。前立腺がんの予防の観点で自慰はするが、それ以上に性欲があるかと言われると淡泊であるとは一人自身思っている。
そう思っていたのだが、が傍にいるとそれなりに性欲があるのだと解らされる。
診療所のベッドとは当たり前だが全く違う匂いに下半身の居ずまいが悪くなり、10代でもあるまいし何をソワソワしているのかと自分を叱咤した。

「いや~、あんまり前回から間が開いてないのもあるけど、やっぱ今までと全然違うわ。ちゃんと眠れてるんだね」
「まあ、そうかもしれん。それでも眠りは浅いが」
「そらそうだわ。癖なってるだろうしねえ。でも本当に全然違う。生活変わったんだなって解るよ。良かったね。医師免許もそうだけど良いこと尽くしだ」

の手の温度にまどろみながらの言葉を聞いて、そうやってきちんと口に出して言われることで何故か身体の中の何かが軽くなる気がした。
することは多いし、以前とは生活が違うのでそれなりに大変な部分もあるけれど、の言う通りに良いことは多い。村の外での急患を自分の手で治療ができ、それに心を砕けること。眠る時間も増えたこと。自分だけで業務を回さなければと頭を悩ませなくて良くなったこと。このまま一生この村で何も変わることなく、生きて死ぬのだろうと思っていた未来が、変わったこと。医療以外の知識欲が刺激されるようになったこと。とも逢える時間が増えたこと。
良いこと尽くしなのは間違いないだろう。正直生きてきた中で今が一番充実しているとも感じる。
今こうやって横になって、まどろんでいることも良いことだろう。意識が既に飛びそうだった。

「このまま幸せを見つけるんだよ~なんてね」

幸福というものがよく解らないが、今この瞬間は幸せなのではないだろうか。ベッドに入ればそれなりの速さで眠れるが、仕事も何も考えずにこうやってまどろんでいる瞬間はそれこそ幸せと呼べるだろう。
が傍にいれば、こんなまどろみが幾らでも手に入る。それこそ幸せだろう。
の言葉に何か言わねばならぬと思いながらも、意識がそこから途切れてしまった。



「明日は送っていく」
「いいよ仕事しなって」
「富永がいるから平気だ」
「あんた冗談言えるようになったんだねえ」
「……」

本気で言っているのだが。
実際富永だけで事足りることも多いので、村の外に出ていることも増えた。そもそもが戻ってきたときは可能な限り送っていっているので、今回も無理矢理でも送っていくつもりである。

「……は明日、帰る以外に用事はないのか」
「ないけど」
「街で昼飯でも奢ろう」
「何で!?!??!」
「何でもだ」

夕飯でも、と思ったがが昼前には村を出る。街に下りて共に昼を食べるのがいいだろう。

「いやマジで意味解んないどうしたの。……あれっ私何か病気?」
「別に見た限り至って健康体だろう。KAZUYAさんのことで少し話しておきたいこともある」
「ああ、ビックリした。いやそれ今日で良かったのに」
「掃除をしながらか? また怒るだろう」
「うーん、それはそう。……あの、ええと、行きたいんだけど」
「?」
「お盆前にお金下ろすの忘れて、余分なお金持ってきてないんだよね……」
「……? 奢ると言ってるだろう」
「いや、いやいやいやいや」
「いいから」
「デジャブ。何、治療代は要らないって言ってるじゃん」
「きちんとした場を設けるために誘っているのだから、別にが金を気にする必要はない。……明日また来る」
「気にするんだけど……あーもう解った、次会ったときに返すからね」
「別に要らん」
「だまらっしゃい!」

なし崩しに明日の予定をねじ込んだ。は何か理由がないと飯を誘っても乗ってくれないのだろう。
今後も何か理由をつけなければ駄目かもしれない。
けれども理由さえあれば、了承してもらえるという知見を得た。知見と言えるのか怪しいがそれくらい前進した気がする。この程度で心拍が少し速くなるのだから人体は不思議だ。

「今日はありがとう! おやすみ」
「ああ、おやすみ」


***


次の日のはワンピース姿で化粧をしっかりしていた。仕事中も化粧をしているが、そのときよりも少ししっかり化粧をしている、ように見える。
バス停まで一緒に歩いていれば、村の人達から声をかけられた。

「K先生とデートか~~!」
「違います~。仕事しなよ高木さん!」
「……」
「あっはっは! もう帰るのか、気を付けて帰れよ~」
「はーい、ありがとー!」

にとってはデートではないのか、と思ってしまう。幼馴染と昼飯に行くだけだろうか。送ってもらっているだけだからだろうか。
まあ毎回毎回、村の人たちにこの見送りを見られては同じようなことを言われ、はこうやって否定したり訂正したりして返しているのでいつもの通りに返しただけだろう。
それを寂しいとも思うし、悔しいとも思う。いつもは見送りだけだったが、今日はこのまま街まで行くし、昼も一緒に食べる予定である。にとってはデートではない、らしい。そう言われたらデートだろうとは言えなかった。その気がない相手にそんなことを言って、距離を置かれるほうが今は嫌だからだ。

「……昼は何が食べたい」
「んー、ファミレスで良くない?」
「良くない。きちんと考えろ」
「ええ……ファミレスでいいじゃん……」
「考えていることが解りやすすぎる」

奢るこちらのことを考えて安い方がいいという考えだろう。次に会ったときにちゃんと金も返すつもりでいるのが解る。そんなことさせる気はないが。

「男の顔くらい立てろ」
「だって、も、貰いすぎてるから……お祝いしたのじゃ全然足りてない……」
「祝い返しだが?」
「高すぎる。掃除だって手伝ってもらったのに」
「……なら、次も村に戻って来たときに治療してくれ」
「それくらいは、全然、いいけど。一人はそれでいいの」
「ああ」

だからもっと村に戻ってくればいい。
次の村での治療の約束も取り付けて、その日と昼過ぎまで共に過ごした。
当然だが次も掃除を手伝えるなら手伝うだろうし、見送りもするし、飯に誘えるなら誘っているだろう。富永が来たから実現できる予定である。帰ったら労わってやらねばならない。には会わせないが。

「ご馳走様でした。一人ありがとう」
「いいや。……気を付けて帰れ」
「うん、一人も気を付けてね」

いつもの分かれの言葉を告げて、を見送る。
電車に乗って遠ざかっていくのを見ながら、ふと気づく。

「……KAZUYAさんの件で誘ったのに、話をするのを忘れていたな」

食事に誘う口実で咄嗟に言ったことだから、別にたいしたことはないのだが。メスのことを話すくらいだろうか。黒須一也に関しては、まだ会うこともできていないので話してもしょうがない。
盆が終わるので、村の生活もまた元に戻る。
の乗った電車が見えなくなってから、一人は村に戻って行った。