盆が終わってからの治療院に通う回数が増えた。
富永が来てくれたおかげで街に行ける回数が増え、月に一度、多いときは二度三度との治療院に通う時間ができるようになり、村と街を往復することもある。
メスを集めることが今は最優先ではあるが、自分の身体のことをじっくりと見直す機会にもなっている。
そんな中で村の人に声をかけられた。
「K先生最近顔色良くなったねえ」
「……そうですか?」
そんな風に言われて、瞬いてしまう。毎日自分の顔は鏡で見ているが、変化しているとは感じたことがない。
の治療院によく行けるようになったので、短時間でも眠れることが増えたのと、身体のメンテナンスの回数が増えたので顔よりも身体のほうが調子がいいとは感じている。
「笑うことが増えたよぉ」
「……それは……、──そうかも、しれませんね」
笑わなかったわけでもないし、笑う場面がなかったわけでもない。それでも、今までに比べたら格段に笑う回数は増えたと自分自身で思う。
それはに逢える回数が増えたこともそうだし、色んなところで余裕が出てきたおかげでもある。笑うというのは、余裕がないとできやしないのだと今さら実体験する。
村の人は少しだけ寂しそうに口を開いた。
「やっぱり街のほうが色々楽しいのかい」
楽しいは、楽しい。医療以外の知識欲が大変刺激されるし、まだまだ自分の見識は狭いのだと実感する。もっと色んなものを見たい欲も出てくる。
村では診れない症例があることも多い。KAZUYAさんの遺したメスを持っている患者を診ることも、正直な話やりがいがあって楽しいと感じるときもある。治療が上手くいけば満足感だって出る。
村の人たちに治療をしてお礼を言われるのは当たり前だが、今まで全く関わってこなかった初対面の人間を治療してお礼を言われるのは、何だかむず痒くも感じるし、今までとはまた違う喜ばしい気持ちにもなる。
だがそれ以上に、多分顔色が良くなって笑うことが増えたのは、もっと直接的な原因だろう。
村の人の言葉に、一人は否定から入った。
「いや……、……の、施術を受けにも行ってて……」
言い始めてから大層恥ずかしいことを言っていることに気づいた。惚気ているわけではないが、何だか子どもの頃から知られている人にこんなことを言うのは多分、恥ずかしいことな気がする。自分の気持ちは村の人たち全員に知られていると言っても過言ではないが、それでもこんな、好きな女に逢いに行っているから機嫌がいいなどと、自分から言うのは何かが違うとは解る。
街に下りるのが楽しいから笑うようになったのではなく、の施術を受けているからだと訂正するような形になり、けれども一人は他に言うべきことが思いつかなかった。村が嫌なわけもない。ただに逢う時間が増えたことが一番、一人にとっては余裕もできて楽しめることが増えたというだけだ。
村の人はそう言う一人を見て目を輝かせて口を開いた。
「ほぉ~~~~!」
「……」
絶対に変な勘違いをされている気がするが、訂正するのもおかしい、ような気がする。
恋心を持ちながらに逢いに行っているのは間違いなく、会う回数が増えるくらい余裕が出てきて笑うことも増えたのは事実だ。特にの前で笑うことが殊更増えていると確かに思う。子どもの頃のように、他愛もない話をできることが増えたからだ。医療以外のことを話せる相手がいるのは、存外貴重なのだとや富永のおかげで気づいた。
とてつもなく目の前の人物にニヤニヤされ、その様子を見た他の人たちも集まってくる。
勝手に今の話を広げられ、皆から生温かい目で見られた。
「早くK先生との子どもが見たいねえ」
「……、……気が、早いです」
絶対にこの人たちが想像しているようなことは断じてない。何なら手すら繋いだこともない。
(……考えたら悲しくなってくるな)
繋いで歩きたいかと問われれば正直そんな感情はないのだが、がしたいと言うのなら吝かではないというレベルである。がしたいなら、マントを羽織るのを止めて腕だって組んでいい。
いや今はそういう話ではなく。
「K先生が村にいないのは寂しいけど、に会いに行ってんならしょうがねえなあ!」
声の大きい男性にそう言われれば、否定も肯定もできなかった。だが大体合ってるかもしれない。
そのままとの子どもの名付け親に誰がなる自分がなる、育てるのは自分がお初は云々と話が大きくなって収集がつかなくなる。
急患が出たわけでもないのに少しだけ疲れて診療所に戻った日だった。