06-2


寝たら朝が来る。真理である。

どれだけ願ったところで過去には戻れないし、気づいたら一人が家に来る時間である。腹をくくった。
家のチャイムが鳴る。田舎の古い家なので、インターフォンではなくチャイムである。玄関の扉も横開きで田舎特有のやつだ。一人が来たらもうマントの影で解る。

「はーい。……おはよう、一人」
「おはよう」

(あー……マジ断れば良かった)

責任感からこんなことをしてるのだろうと思えば、逢うのが全く楽しくなくなった。一人の責任感が消えるまで好きにしてもらって受け止めようと思っていたが、楽しくなんて何もない。

(好きにならなきゃ良かった)

何度も思ったことをまた思う。好きにならなければ、もう少し楽だったのに。けれどもどうにか乗り越えるしかない。
母親は写真でしか顔を知らない。父親は中学生で死んだ。そこから今まで独りで生きてきたし、色々あったけれど何とかしてきた。
今回だって何とかなるだろう。
笑うのは得意だ。泣くのがむしろ苦手だった。泣き始めたら止まらなくなるからだ。父が死んだときですら人前ではそんなに泣かなかった。
一人の前でも、泣いたことが一回くらいしかない。
笑う方が得意だ。元気が取り柄である。
今までそうやって生きてきた。これからもそうやって生きていく。一人から離れて生きていくようになるのだ。
笑って、離れられるように、今から頑張るだけだった。



一人が来てすぐに、昨日渡せなかったお菓子を渡しておく。診療所用と、一人へ個人的なお礼の分でふたつ。
二個もあることに驚いていたが、きちんとした医師免許のお祝いをしていないのと(何せ一人からのお返しのほうが金がかかっている気がする)、何だかんだ自分が勤めている治療院によく来てくれるお礼だと言えば、気を遣わなくていいと当たり障りのないことを言われる。
やはり喜んでいるようには見えないし、贈って良かったのか解らない。こういうものは気持ちが大事だと自分で自分に暗示をかけた。

早速お互い掃除をし始め、去年と同じように二日目は過ぎた。
どうしたってなるようになるしかならないし、一人が責任感で世話を焼いているなら、もう飽きるまでやらせればいいだろう。女として見られていないのに、女の処女を貰ってしまったが故に責任感から幼馴染に世話を焼くような男だ。責任を感じなくなるまで過ごせば、もうあとは離れるだけだろう。

(馬鹿だなあ。頭いいのに)

本当に馬鹿だ。こんな女を抱いたせいで、面倒なことを考えて世話を焼くなんて。
掃除をさっさと終わらせて、一人の治療を行いながらそんなことを考える。
馬鹿だなあと思う。さっさとこんな女のことを忘れて、見向きもせず、新しい素敵な人を見つければいいのに。頭はいいのに割り切れないとは意外だ。手の施せない患者への割り切りは早いと言うのに。

(馬鹿は私もだよなあ)

早くこの人を諦められればいいのに。
本気でそれをしないから、馬鹿なのだ。好い人を自分だって見つければいいのに、本気で探すことはない。一人以外の男を信じられないからだ。
一人が自分に構わなくなったら、それこそ本気を出して誰か探すのだろう。それか全て諦めて独りで生きていくかだ。

治療をしていれば一人が小さく寝息を立てていた。
いつもそうだ。こうやって少しの時間でも寝るくらい疲れているのに、無理して会いに来る。休めばいいのにこちらの意見を聞きもしない。治療中に寝る患者は数多くいるのであまり気にはならないが、今日の今この時は何でここに来たのかと思う他ない。疲れているのなら、別にこんな場所に来なくていいのに。
呼べばすぐに起きて反応するし、寝息もとても小さいので最初の治療では寝ているなんて気づかなかった。何度か回数を重ねて今は寝ている、起きているが解るようになった。最近は寝入るのが早い。
疲れているなら休めばいいのに、こちらもそう言うのに、一人は聞いてくれはしない。責任感が強いなあと、改めて思う。
早くこの人が自分から解放されるには、どうしたらいいだろう。

うつ伏せの治療が終わって仰向けになってもらう。体位変換で一度起きるが、そのあとまた一人は寝始めた。
仰向けも治療が終われば、あとはもうこの人を起こして帰すだけだ。早く帰してあげないといけない。

(……駄目だなあ)

今だけは自分が独占しているのだ。この稀有な男を、自分だけが見ていられる。
こんなにも無防備に眠っている男を、見ている権利が自分には今あるのだ。何て利己的なのだろう。

筋肉の張りが以前と全然違う。表情だって変わった。顔色がそもそもいいし、眉間のシワも少し減った。
あとはもう、治療中に寝ている時間よりも、きちんと眠れる時間を作るべきだろう。
そう言い訳をして、治療が終わったのに暫くそのまま一人を寝かせた。
昼にも一人と一緒に食べたイシさんからのスイカが残っているので、それをゆっくり食べていれば日が暮れてきていた。夏至は過ぎているので少し日が落ちるのが早くなっている。
流石にそろそろ起こさないといけない。一人の横に座って、肩を軽く叩いて声をかけた。

「一人、終わったよ」
「……?」

声をかければすぐに起きるので熟睡というわけでもない。
けれども今日は少し呆けた一人が見れた。

「ガッツリ寝てたからそのまま少し寝かせてたごめん」
「……そうか、すまん」
「違和感あるところとかない?」
「ない、助かった」

治療の成果を確認し、着がえの終わった一人を玄関まで見送る。

「明日はいつも通りに帰るのか?」
「ん、昼前には出るかな」
「送っていく」
「……そう、ありがとう」

素直に受け入れれば少しだけ一人が驚いているのが見える。
断られると思ったのだろう。気分としては断りたい。独りで帰るほうが気が楽だからだ。けれども見送りだけなら受け入れておけば一人も満足するだろう。

「──時間が平気なら明日、昼飯を食べないか。KAZUYAさん関連で、話さないといけないことがある」
「んー、……解った。また明日ね」

KAZUYAさんの話をするならそれ相応の場を用意しろと治療院で言ったので、一人もそういう対応をしているのだろう。
昨日から少しばかり気分が下がっていて、早く今日は一人と分かれたいと思っている。さっきは一人の寝顔を散々見たというのにワガママが過ぎるが、この過保護なところや変に女扱いするところを見せられるともう何とも言えない気分になってしまう。

「……。体調でも、悪いのか」
「え、何で? 元気だよ。何言ってるの。体調悪かったら一人には言うよ」
「……そう、か。悪いわけじゃないなら、いい。俺の勘違いのようだ」
「変な一人。やっぱり疲れてるんでしょ。ごめんねちゃんと今日は断れば良かった」
「違う。俺がしたくてやっている」
「……そう。無理しないでよ。今日は早く寝てね。おやすみ」
「ああ。……おやすみ」

実際一人がそんなすぐに寝ないことなんて知っている。気になる論文があれば読み込んだりして深夜になっている男だ。それでもこうやって言うしかない。
「おやすみ」と言えば、会話も終わるだろうと思った。
子どもの頃は「また明日」だった。大人になってからは「またね」と言う。村に戻った今、「おやすみ」と言い、距離が近づいているのにこんなにも遠い。自分としてはあとは夕飯を軽く食べてお風呂に入って寝るだけだ。おやすみと言うので間違いないので、いいだろう。
いつかそのどれもを、言わない日が来る。このまま村に戻らず35歳を越えてしまえば、一人もこんな女を構うことを止めるだろう。
神代の血を残す掟を蔑ろにする気はないが、一人がこのままなら、自分は村には戻らず35歳を越えたら完全に村から離れようと、今決めた。
一人が子どもを残すことを言及して来たら、この身体だけ提供すればいいだろう。何なら一人が精子を提供してくれれば色々すっ飛ばして妊娠できるかもしれない。それで、いいだろう。

それでも結局流れに任せるしかない。今すぐ村を完全に出る勇気はなく、一人への恋心もずっと引きずっている。それでも35歳までだと、今決めた。
そうすれば少しだけ、ほんの少しだけ、身体の何かが軽くなった気がした。


***


次の日、結局約束は果たされなかった。
一人がの家には来たが、バス停に行く途中で急患に出くわしたからだ。
取るものも取りあえず一人をその場で送り出した。

、診療所に……」
「何言ってんの手伝いならイシさんたち呼んで。またね一人」
「……ああ、すまない。気を付けて帰ってくれ」

急患を連れていたご家族に何故か申し訳なさそうに頭を下げられたので、下げ返しておいた。
村に帰ってきたらそれとなく気合を入れて着ているワンピースの裾が目に入る。似合いもしないスカートを履いてしまう自分が滑稽だった。今日はもうさっさと街に帰って何もせずにゴロゴロしたい気分になる。

(記憶無くなるくらい吞みたいな)

さっさと帰って、酒でも買い込んで浴びるほど吞んでしまおう。

その夜有言実行し、そのまま不貞寝のように床で寝ていた。家の固定電話が遠くで鳴っていたのが何となく聞こえたが、夢の中の出来事だと思った。

次の日も休みだったのが救いだった。安酒で吞みすぎるのはもう絶対やらないと誓う。
床で寝たせいで背中がバキバキになっているので普通に後悔もした。せめてベッドで寝ていれば二日酔いだけだったのに。しかも別に記憶がなくなるわけでもないのでただしんどいだけである。吞み損ではないか。
シャワーを浴びてニュースを見ていれば、固定電話が鳴り響いた。診療所からなので少し戸惑いながらも受話器を取る。元気が取り柄なので元気に思われるように声を出した。

「はーい」
か? 一人だが』
「うん、おはよう。どうしたの」
『……昨日は、すぐに帰ったのか?』
「え? うん。別にすることなかったし」
『夜に電話をしたんだが、出なかっただろう』
「えっ、……あっ、あれ夢じゃなかったんだ」
『お前』
「お酒呑んで早く寝ちゃったんだよね。ごめん。何かあった?」
『いや、そういうわけではないが。女の独り暮らしなんだ、心配ぐらいする』
「私まだ鍛えてるからそこそこ強いんだけど」
『知っているがそういう問題ではない。体調も、悪かったりはしてないんだな?』
「ええ? あー、ちょっと呑みすぎて二日酔いあるかなってくらい」
『水を飲め。……誰と、呑んだんだ』
「いや独りだけど」
『そうか。それならいい』
「はあ~? どうせ寂しい女ですよ」
『そういうことを言っているんじゃない。村に戻って来たときは全然呑まないだろう』
「そりゃ他の人の家で酔いつぶれるわけないじゃん。独りで家帰らないといけないんだから酔わないように呑むよ」

村へ帰るときに酒なんて余計な荷物は買わないので、余所の家庭に呼ばれたときは呑むけれどそれでもほろ酔い程度である。帰れなくなるほど呑むなんてそんな馬鹿なことを一人がいる村でするわけがない。
こういうところも可愛くないのだろうな、とは思うが醜態を晒すほうが嫌だった。

「別に健康なんだけど、私何か病気ありそう?」
『違う。……村にいたとき、元気がなさそうだと、思っただけだ』
「いや普通に元気だよ。一人のほうこそ疲れてるんじゃないの」

素直に受け入れていたのがそう取られていたのか。対応を間違えたかもしれない。こういうとき観察眼のある男は厄介だと感じる。
テレビを流し見しながら通話をしていれば、しばらく見ていない男の名前が液晶に出てきた。思わず一人に声をかけてしまう。

「……えっ、ちょっと一人テレビ見てる?」
『テレビ?』
「ねえ氷室俊介って俊介?」
『俊介……?』
「今ニュースでやってるんだけど、いやこれ凄くない!?」
『いや待て、俺も知らない。……ああ、これか』

一人もテレビを映したらしい。日本人の氷室俊介の偉業が映し出され、何が凄いのかなども伝えられている。

「えっていうか凄くない? うちの村から医者が二人も出てるだけでも凄いのに。アメリカ行ってこんな研究結果出してるって……うわ~やっぱ俊介って頭いいんだなあ」
『……そうだな』

子どもの頃同年代と比べたら異質だった一人だが、俊介のお陰で孤立しすぎることはなかった。も俊介と仲良くしてもらっていた。気の良い奴で頭の回転も速く、一人と対等に話せるひとりである。
一人のことを、友人として見ている人間は少ない。同年代が少ないのもあるが、KAZUYAさんが亡くなって一人がKの名を継いでから、村の人間がほとんど一人のことをKとしか呼ばなくなった。年下も年上も関係ない。一人がK先生となり、誰からも名前を呼ばれることがなくなった。
対等な人間もいない。労わってくれるような、支えてくれるような人間もいない。全員一人の前から消えていったからだ。まだ20代という若さで、一人はKという重圧も、村の医療を担うことも、全てを背負った。
そんな一人と対等にいられる人間であろう、氷室俊介である。

「ええ~こうなるともう日本には戻って来れないのかな。日本に戻ってきたら会えるといいね。私も会いたいなあ」
『……』
「一人?」
は』
「うん?」
『俊介に、会いたいのか』
「そりゃもう10年以上顔見てないからなあ」

俊介が別地区の高校を受けて村を出ていったので、は15年近くきちんと顔を合わせていない。俊介がアメリカに渡ったことも一人経由で知ったくらいだ。

「まあでも日本に来れたとしてもあれでしょ、いるとしたら東京とかでしょ。流石に会えないわ。村に戻って来る時間あるかも解らないしね」

そもそも自身が休みが取れるか解らない。治療院で休みは貰っているが、指名の患者が来れば休日出勤もするし出張もする。何せ鍼灸師は国家資格と言っても医者と違って薄給なのである。
なので会えたら会いたいくらいである。正直会えなきゃ会えないでまあ構わない程度の間柄でもある。元気ならそれでいいだろう。

「でも一人は会いたいでしょ?」
『……俊介が会いに来るかは解らんがな』
「いや~俊介って何だかんだ村も一人のことも気に入ってるから来そうな気がするな~」

もしも日本に戻ってきたら会えればいいね、とまた一人に言う。診療所に医者が増えただけで一人の身体も表情も変化が出たのだ。昔なじみの俊介が来たらさらに良い変化が出るだろう。

(私といるときは何か気を遣ってる感じだけど、男の人同士なら色々気兼ねなく楽しめるでしょ)

そんな風に通話を続けていたら、遠くで男の人の声が聞こえてきた。
Kという呼びかけと、慌ただしい声音。次に一人から言われる言葉がすぐに理解でき、は電話を切る心づもりをし始める。

『──、すまない、急患が入った』
「うん、昨日から大変だね。頑張って。またね」
『ああ、……また、治療院に予約の電話をする』
「はーい、お待ちしてます」

電話を切れば、俊介のニュースも終わっていた。久しぶりに会いたいとは思うが、もしも帰国したとしてもタイミングが悪ければ会えないだろう。大人になればそんなこと幾らでもある。元気にしていそうなら、それでいい。

(これが一人だったら頑張って逢いに行ってたかもなあ)

35歳までだと自分で昨日決めておいてそんなことを考える。
だがもしも自分が村にいる立場で、一人が村を出て言った立場だったら。そのときは、やはり自分は逢いに行こうとするだろう。今ですら夏と冬しか帰れなくても、絶対に診療所には顔を出している。逢えるのなら、逢いに行くだろう。
自分の中では昨日割り切ったつもりだが、やはりまだ好きだと思う気持ちがある。
一人にも気を遣わせてしまったので、今まで通りに接していかねばなるまい。

(むしろ35歳まで、今まで以上に片想い謳歌してもいいのかもね)

結局一人以外に恋はできなかった。ならば、楽しめるだけ楽しむのもアリだろう。
ちょうど一人が治療院に来る頻度が上がってるのだ、顔を合わせることを楽しんでいこうと、そう思った。

あとがき:
信じられないほど長くなったんですがこれ神代一人から見たら一年かけて
・治療院と村から街に帰るときの見送り以外で顔を合わせる
・二人きりの時間を作る
・飯に誘う
・家に電話する
という謎のステップアップ?を遂げています。大変解りにくいんですが彼の中で一応アプローチしています。通じてないです。ヒロインは一人ってマメだよなと思ってます。自分のことを村人Aであり神代家の子孫のための装置だとしか思っていません。
お互い気持ちを言葉にしないでここまで来てしまったせいで拗れています。これから更に長いですすみません。