Kも人間だったんだなあと、富永はその日思った。
「オペしてるのに元気だったとか言う奴いる!? あんた本当頭いいのに変なところ馬鹿だよね!?」
「……、…………」
(Kが押されてんの面白ぇ~~)
玄関で痴話喧嘩のようなものをしている二人を見て、正直に面白がってしまった。あのKも人間だったのだ。
好きな人には押されるし、正論を言われたら黙ってしまうらしい。正論人間のくせに、流石に今回の対応は自分が悪いことも解っているようだった。解っていたらそもそも即謝っていただろうに、謝らない辺りが悪あがきである。
しかしあのKがこんな子どもっぽいことをするのだと認識を改めた。
(まあ、氷室さんに会わせたくない気持ちは、何となく理解はできるけど)
あんな男も含めて三人幼馴染でいるなら、自分の立場が危ぶまれるのは解らないでもない。でも流石に連絡をしていないのはやり過ぎだろう。いや氷室みたいな男を好きな人に会わせたくない気持ちはとてもよく解るのだが。
覗き見のように玄関を見ていたら菊花が部屋に戻って来るので慌てて身体を引きはがす。
菊花は荷物を持ちながら作った笑顔で富永に挨拶をしてきた。
「お邪魔しました~お茶ご馳走様でした」
「いえあの、むしろすみません……」
「いいえ~お騒がせしました~」
(うわ怒ってる……)
何だか母親を怒らせたような感覚だった。自分自身は怒られているわけではないし、今の挨拶はきちんと作られた声だが、その分怒りを抑えているのが手に取れた。さっきの怒った声からこの変調、自分が好きな人にやられたらどうしたらいいのか頭を抱えているだろう。
玄関先でさらに二人の声が聞こえてくるので耳が勝手に拾ってしまう。
「またね一人」
「菊花……、……送って、行く」
「ま、た、ね」
「──っ……ああ、また……」
(け、K~~~~~~~!!!)
いやでも怒らせている女性にしつこくするのは悪手だとは思うので今は引くしかない。けれどもまさかあのKがここまで抑え込まれてしまうとは、まさかまさかである。
(え~……K、本当に惚れてるんだあ)
挨拶のときからずっと、この人がKの好きな人なのか、という目線で見てしまっていた。
氷室が普通に可愛いと言っていた意味も解ったが、正直あのKの好きな人がこの女性というのが全くイコールにならなかった。
言ってしまえば、どこにでもいるような人だろう。
けれども今のこの状況、というかKが女性に押されているという状況が面白すぎた。あのKのこんな姿を見られるなら正直肩身が少し狭いくらい全然構わない。性格が悪いのも野暮というのも解った上で聞き耳を立ててしまった。
(どこが良いのかこの間もっと聞いとけば良かった)
背中を押してくれる人、と言っていただろうか。あのどこまでも真っ直ぐ患者のことを考えているあの背中を、押してくれる女性なんてどういうことだ。しかも支えてくれる人ではないのだ。甘えさせてくれる人でもないのだろう。KをKたらんとさせてくれる人なのだろうか。
そんなことを考えていたらKが居間兼、診察室のこの場所に入ってきた。
常に背筋が伸びていて、顔を上げているこの男が何だか少し傾いている気がする。気がするだけである。体格がいい上に入口ではどうしたって頭を下げて入ってくるので本当に気がするだけかもしれない。
だが明確に纏っている空気がいつもと違う。
とりあえず「お帰りなさい」と言えば、Kはいつもよりも覇気のない声で返事をしてきた。本当に落ち込んでいる。聞いていて申し訳なかったが、そもそも氷室のことを話始めたのは自分だったのでそこは罪悪感が少しだけある。だがもしもいつか誰かから聞いてこうやって怒られるなら、それは早めのほうが良かったのではないだろうか。
どうやって声をかけようか考えたが、直球で言ってしまった。
「会わせたくなかったって正直に言えばいいじゃないですかK」
「……そういう、わけでは、ない」
「菊花さんが絡むと嘘吐くの下手ですね」
「そんなこと……、待て富永。何で菊花を名前で呼んでいる」
「え? ご本人の許可貰ってますよハハッ」
「…………」
本当はきちんと励ます気だったのだが、尊敬しているこの男が自分と同じ人間だったのだと解ってしまって、少しだけからかいたい気持ちが出てしまった。大変申し訳ないとは思っている。思っているだけである。
正直氷室さんがKをからかう気持ちが解ってしまった。なるほどKのこの姿を見るのは、確かに楽しい。
「俺も今彼女いないからアレですけど、好きな人には素直になったほうがいいですよK」
「………………」
少し恨みがましい目で見られているが、付き合ってもいない状況ならこれは正しいアドバイスではないだろうか。元々はKの行動が問題だったのだし。
「連絡先知ってるのに、アメリカの友達が帰ってきたことを教えてくれなかったら、そらぁ怒りますよ。しかも氷室さんも氷室さんで連絡してないから余計怒ってましたよ。お二人のせいで怒らせてるから、これはもうしょうがないでしょ」
「……、解って、いる」
「ちょっと、Kがふて腐れる立場じゃないでしょ。ちゃんと謝りに行かないと駄目ですよ。そこで氷室さんに会わせたくなかっただけだ~て言えば良いじゃないですか」
「…………」
「他に理由がちゃんとあるなら、それ言えば解ってくれる人なんじゃないですか?」
菊花の怒ってる理由が至極まともなのだ。いや暴力的なのはアレだが。
けれども理由さえきちんと言ってもらえれば納得してくれる人ではないだろうか。
「……明日、診療所を空ける」
「はいはーい、朝帰りでもいいですからね」
ニヤニヤしながら言えば、Kが何とも言えない顔で「お前も村の人達みたいなことを言うんだな……」と呟いた。
「そら、まあ、言うでしょうね」
本当に少しの時間しか話をしなかったが、菊花の顔を見ていれば何故彼女がわざわざ旅行の荷物も持ちながら最初に治療院に来たのかすぐに解る。
『……、そ……、うですね。あの、じゃあ、お茶だけいただきます……』
『か、一人の好みが、解らなくて……昔から似たようなのばっかり、買ってるんですよね。あんまり好きそうじゃないなら、もっと別のにしようかと思ってるんですけど』
『……そうですか? それなら、良かった』
Kがすぐに戻って来ることを伝えたときの顔、Kの好みが解らないから困っている顔、お菓子はよくつまんでいると伝えたときの安心した顔。
そもそも村の人間なのにKに対して対等に話してるだけ、何だかすごい人だとも思う。それをKも許しているし、何も言わない。その上タジタジになっている。何とも可愛らしいではないか。
お互い可愛い片想いなら、さっさとくっつけと皆思うでしょう。
それは流石に口には出さずに心の中に留めておいた。