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中村は産まれたときから母親がいなかった。
それを不幸とは思わないが、父親までも死んだときは少しだけ不幸なのかもしれないとは思った。
だが村の人は気にかけてくれるし、神代の家の人たちと家族のように食卓を囲むことも多かった。寂しいけれど、まだ恵まれてはいるとは思っていた。村で色んな患者を見ているせいか、自身は五体満足で健康体だからだまだ何とかなると思っていた。
家族が亡くなって嘆くことはあれど、悲観するのも違うとは気丈に振る舞った。村の人たちがたくさん気にかけてくれているのは、解っているから。
ただそれは村の中でだけのことである。

村を出たら自分が親なしと呼ばれることを、それを理由に自分への当たりが他とは違うことを、高校に入ってからは目の当たりにすることになった。
何かを知らないことを、親がいないからなどと言われるようになる。自分の立ち位置が他の人と全く別のものであり、それを理由に攻撃されることもあるのだと、身をもって体感することになった。
人間なんていつかは死ぬというのに親なしなんて呼び方などおかしなことだとは思うが、自分が世間と少しズレているのはその通りだった。静江おばさんとイシさんがいなかったら、多分もっと酷かったとは思う。

中学でも親なしだの何だの言われていた気がするが、それでも小さい学校で村の人間も多かったから気にならなかった。
高校に入ってから、顕著に出てきたわけである。村の人間も同じ高校に通ってはいるがクラスは離れているし、同学年にいる村の人間は男だけだったので、同じクラスだったとしてもそこまで一緒にいることもできない。
学年も性別も違う一人とはなおさらだ。
中学のときに、一人から離れて少しくらい恋をしてみたいと思っていた矢先だった。
期待して入学した高校で、親がいないというだけで爪はじきにされてしまう。失望するのも当然だった。

そんなときに声をかけてきた人に、コロッと行ってしまう。

(あれがあって良かったのか悪かったのか)

の人生の転機は確実に高校生の事件だった。




「一人?」
「最近帰ってくるのが遅いだろう。母さんが心配してる」

学年の違う一人が、わざわざに会いに来てそんなことを言う。
確かに最近帰りが少し遅い。だが村への終バスで帰っているし、そのバス自体早めに終わるので、高校生ならこのくらいはまだ健全な範疇ではないかとは思う。友人に合わせているとこのくらいになってしまう。

「あ~、友達と遊んでると遅くなっちゃうんだよね」
「そうか。──あまりこんなことは言いたくないが、……素行の悪い連中と、よくいるだろう」

いつものあの真面目な顔で一人がそう言うので、は自分の中の何かが冷えたのを感じた。

「一人もそういうこと言うの」
「ちゃんとした友人なら、良いんだが」
「全員親なしか片親なんだよ」
「っ……、」
「親がいるだけで素行がいいって言われるなら、まあアイツらも私も素行が悪いんじゃない」
、待て、そういうことじゃない」
「ねえ友達待ってるからもういい?」

「こっちも一人に近づかないようにしてんだから、無理に関わらなくて良いって。じゃあね」

中学で距離を少しずつ置いていたのに、が高校に入ってから一人が構いに来ることが増えた。
大抵一人が先に、静江おばさんが心配しているからと前置きしてくるので、一人自身別に話したくて話してるわけでもないのだろう。無理に関わってこなくていいのにと、は少しイライラしている。
最近仲良くしている友人を悪く言われたのも嫌だった。──素行は確かに、少し、悪いかもしれないが。
けれどもあれくらいの素行の悪さは他でもよく聞く。中学生の頃からタバコを吸っているだの、酒を飲んでいるだの、何なら大人だってそういうことを武勇伝のように言う奴ばかりで、このくらいは可愛いものだとも友人たちも思っている。学校を休むなり仮病で授業を病欠する程度だったり、喧嘩するくらいで別に一人にも迷惑をかけていない。
クスリだの暴力団だの、そういうのとも関わっていない。
そもそも身の上が何となく似ている人が多くて、勝手に仲間意識が強くなっている。皆似たような苦労を大なり小なりしており、「あるある」を話して盛り上がることもしょっちゅうだった。
そういうことを、知らずに一人が他の人間と同じことを言うのが、何故だか許せなかった。

(一人もあんな風に言うんだ。私のことやっぱりどう思ってるんだか)

まあ、許嫁だ何だと村の掟でしかない。別に破ったところで、一人がきちんと結婚相手を見つければいいだけである。あの顔と性格なら普通に見つかるだろう。
無理に自分なんかと関わる必要なんて、最初からない。
親なしの自分と関わって、一人が悪く言われる必要も、ない。

(高校卒業したらやっぱり村出たほうがいいんだろうな)

面倒くさい人間なんて離れたほうが、一人にも神代の人たちの為にもなるだろう。
色んな人に助けてもらって生きてきた自覚はあるが、それでも結局独りきりで生きてきている気持ちもある。中学まで父親はいたが、仕事の関係で顔を合わせることが少なかった。その父親が死んでからは、あの田舎特有の広い家でずっと独りで生活をしている。村の人たちに助けてもらってはいるが、結局家ではずっと独りだ。
家族のいる一人よりも、親なしの友人たちと喋っているほうが話が合う。
それで、いいのだと思う。

(静江おばさんがまた家に夕飯食べに来いって言うけど、……行ったところでなあ)

行けば楽しいは楽しいが、帰り道や家に着いてからの虚無感がとてつもないので、それなら最初から行かないほうが楽である。
あの家族に囲まれるのは楽しいと思うが、家に帰れば否応なく独りきりだと突きつけられる。もしかしたら家族になるかもしれない人達だが、結局今は独りきりだし、そのことに気づく人は誰もいない。
それなら、似たような境遇の友人と電話して喋るほうがまだ充実感があった。何なら家で父から教えられた武術を繰り返し鍛錬しているほうが頭が空っぽになっていい。
村へのバスが少ないのでバイトはできない。家に早く帰ったらそれだけ独りの時間が増える。家事もするが色々考えることが多くなるので、家にいる間は頭が空っぽになる筋トレや鍛錬ばかりが増えていった。どんどん頭の中で考えていることが煮詰まっていく感じがして、村に居続けるのは自分のために良くないのではないかと思い始めていた。村の人に優しくされるのも、最近少しだけ辛い。可哀想な子と言われている気がして、どんな顔をすればいいのか解らなくなってきている。
構われればその分、独りになったときが辛かった。

(村出たらまた変わるだろうし、とりあえずは高校卒業はしないとだけど)

友人たちの素行が少し悪いくらいで、自体は学校にちゃんと通っているし、授業も受けている。勉強に付いて行けないわけでもないので、高校を卒業はするつもりだった。そもそも村を出るなら高校は出ていたほうがいいと、自身が思っている。本当は中学を出たらすぐに働いたほうが良かったのかもしれないが、イシさんも静江さんも高校に行くのを強く押していたので何となくその通りに進んでいた。畑を持っているわけでもないので村で働くということもできないのが大きい。
村の人間である一人にまであんな風に言われるくらいなら、やはり距離は取ってさっさと村を出て行くのが良いだろう。

そんな風に一人とやり取りをしたのが、夏前だった。