帝黒学園は、大きい。けれどもやはり学校という狭い空間らしい。
何故って最近先輩と逢うことが、多い。気がする。
「あ、おはよう」
「おはようございます」
挨拶だけじゃなくて、最近は軽い話もできるようになった。
…まだ自分は、先輩の名前も、名字すら、知らないのだけれど。
「化学?コマちゃん?」
「ハイ」
「コマちゃん結構解りやすいよね」
そんな話が、できるようになった。
…もしも聞いたら、先輩のお薦めの本なんか、教えてくれるだろうか。寧ろ好みの本を教えてもらえるだけで良い。とりあえず先輩のことがちょっとでも知れたら、それでこの感覚が少しは埋まる気がした。
しかしまあ、昔の自分からしたらこんな風に普通の受け答えを、顔も赤くせずにしている時点で随分な進歩のように思えるだろう。しかし、客観的に考えていつもいつも、思うのである。
(名前くらい、知りたい…けど)
顔見知りからちょっとランクアップしてしまった今、…そんな不躾で失礼なことを、今更ながら聞けるはずもなく。
いつもいつも、何でもっと早く聞いておかなかったのかと思うのである。先輩の好みの本を知る前に、そういうことが大事だろうと、頭では解っているのだが今更それは聞きにくかった。というか正直、先輩のことが解るなら何でも良かった。名字に名前、クラスに好みの本とか、読書以外では何をするのかとか、アメフトのことは知っているのかとか。…好きな人とか、彼氏は、居るのだろうかとか。そこまで考えるとしかめ面になってしまっていることに気づいて、慌てて思考を断ち切った。
恋をするってこういうことか。そう思った自分の思考回路が乙女なことに気づいていたけれど、知らん振りをして先輩と別れた。