やっと学校が始まった。
夏休み中は当たり前のように部活とトレーニング三昧だった。合間に本を読んで、課題をこなす。問題集をやるくらいのものばかりなので、意外と進むときは進んで楽だった。
最初から最後まで、鷹は夏休みが早く終われば良いのにと思っていた。
(やっと逢える)
やっと、久しぶりに先輩が見れる。
始業式をして、数日。先輩が当番の日がやってきた。夏休み中は逢ったらどんな反応をしようかと考えてしまったけれど、結局名前を書いていないのだから、解るはずがない。そう結論付けて学校に登校してきた。昼休みが待ち遠しいというのは、それだけ見ればどれだけ食い意地が張っているのかと問われそうだ。
先にさっさと昼食を済ませて、借りていた本全部持って図書室に向かう。いつもは本を持ってどこかへ食べに行ったりするのだが、今日は冊数が冊数なので教室で食べていた。やっぱり直ぐに読み終わってしまう量だった。まあ夏休み中に色々自分でも買ったし、町の図書館へも足を運んだから別に良いのだけれど。どうせ先輩に逢えないのならそうやって読書をするのだって構わない。
そろそろ秋大会も始まる。そうなるとピリピリし始めるし、もしかしたら部活の練習量も増えるかもしれない。まあ、帝黒学園の優勝は揺るがないのだろうけど。
自分の敵だって、出てくることはないのだろうけど。
少年野球や走り幅跳びからアメフトに来たが、結局一緒だった。相手になる選手なんていなくて、部活とトレーニングは習慣だからやるけれど、正直楽しいと思えたことはない。楽しんで取り組んでいる連中を見ると、正直不思議でしょうがなかった。勝ちか負けかしかない世界で、何を言っているのだろうか。
親のせいでこの生活が当たり前だった。才能があると当たり前に思われていた。別に今更声を大きくして「そんなことない」と叫ぶ気もないし、そうやって勝手にレッテルを貼る人間は所詮その程度だとこちらが思うようになった。
そんなことばかりだった。自分が関わっているスポーツは、そんなことばかりの世界だった。敵もいなければ好敵手なんてもっての外で、結局何も本質を見ない奴らばかり。楽しいとはかけ離れた世界だった。
本の中だけがまだ楽しいと思えた。創作でもノンフィクションでも色んなたくさんの世界が見れる。価値観も変われば偏見も出てくる。鷹は自身の世界を広げる気はもうなかった。本の世界だけが無限に広がっていた。
そんな、自分の中の小さな世界で勝手に大きくなってしまった人に、恋をした。
最初からあの人は綺麗な人だった。それに気づいていなかったと解ったのは最近だった。思い出すときは鮮明に色まで思い出せる。文字通り色づいた世界だったのかもしれない。
多分、最初から好きだった。
アメフトのためだけに帝黒学園に中学生の頃から入って、そのときはこの図書室にはあまり通っていなかった。家にある本を読みきって、読む量を増やしたいから買うよりも借りる比重が大きくなってきたのは、中学終わりからだった。
そのときから先輩は受付カウンターにいた。今と同じように、静かに本を読みながら昼休み中に図書当番をこなす。
好みの顔なんかがあるとすれば、多分先輩が、好みの人だった。
高校に入ってからは図書室の本しか読まなくなった。暇なときは読書をして、何度も何度も図書室へと足を運ぶ。
先輩の当番の曜日を覚えるが、時折他の人と当番を代わったりしているから、先輩がいなくてもとりあえず図書室には入室する。
本の中の出来事だとばかり思っていた。こうやって人に恋をするなんて、正直思ってもみなかった。しかもほとんど一目惚れだ。ちょっとそこだけ恥ずかしい。でも、話しても別に幻滅も何もなかった。余計好きになっただけだった。
部活もトレーニングも今までと変わりはない。淡々と過ぎるソレに別に今更思うことは何もなかったけれど、他の世界で思うことが数多く出てきた。
本の世界と先輩との世界がとても面白くて、もっとあれば良いのにと思えるほどだった。楽しいと思える時間はその二つしかなかった。
だから、早く先輩に逢いたい。好きだから逢いたかった。
「返却お願いします」
「はい」
当番の先輩に逢って、今までと同じ態度で接してくれるのを見て、少しだけ安堵する。妙に変な態度を取られたらどうしようかと思っていたけれど、結局自分はあの文に名前も何も書いてないのだから、まあ当たり前なのかもしれない。
自分にそういう人がいるんだと気づいて、少しでも考えていてくれたなら鷹は嬉しかった。小さい子どもが悪戯する心理に近いのかもしれない。バレるかどうかでハラハラして、それを楽しんでいるようだった。
「…やっぱりたくさん借りてたんだね」
「ああ、はい。夏休み中は図書室開いてる曜日もバラバラだったんで」
受付カウンターにいるときにこうやって話しかけられるのは初めてで、ちょっと鷹は驚いた。同時に嬉しいとも思った。先輩から話しかけられるのは気恥ずかしい気もするけれど、嬉しいと感じた。彼女の興味の対象に自分がいるのだと実感できるからだ。
「良いなあ。私分厚いの借りたけど、結局忙しくて全部は読めなかったんだ」
「…バイトとか、してるんですか?」
「うーん、いや、…知り合いの手伝いをね、してた」
「へえ」
何だか歯切れが悪かったけれど、言いにくいことなのかもしれない。聞きたいけれど、図書室で話し込むのも悪いと思ってそれ以上は聞かなかった。凄く聞きたかったけれど。バイトをしてるなら何処でしてるのか事細かに聞きたかったけれど。ここじゃ駄目だと自分に言い聞かせた。
返却が終わって、お決まりの「ありがとうございました」を聞く。先輩は真面目だった。ちょっと顔見知りになってもそういうところはきちんとしている。
夏休み中逢っていなかったから、もしかしたらまた最初の頃のように顔見知り以下になるんじゃないかと懸念していたけれど、そんなことなくて鷹はホッとしていた。寧ろ話しかけられて嬉しい限りである。
昼休み終わりごろ、物色を終えた鷹は読みたいと思えた本を持って、また先輩の顔を見るために受付カウンターに足を進めた。