「こっちの棚」
先輩に連れられて、古典の棚に足を向ける。
普段はあんまり見ないところだった。読めるかどうか微妙な作品にはあまり興味がなく、それならば夏目漱石とか宮沢賢治を読むほうがまだ理解できた。嫌いなわけでは、ないのだけれど。
「カウンターに持ってきといても良かったんだけど、一応場所を伝えておこうと思ってね」
「ああ、はい。ありがとうございます」
そっちのほうが鷹は好きだ。何処に何があるのかは何故か把握しておきたい。
先輩と長くいられるなら、それでも別に、構わない。
「本庄君は漫画も読むの?」
「あれば読みますよ」
「絵柄とか好みある?」
「…絵柄の好みが出るほどは、読んでないですね…」
「おー、じゃあまあ、駄目だったら読まなくても良いけど。訳のところが結構解りやすくてお薦め。そこだけでも良いと思うし」
棚に着いて、先輩の横に並ぶ。
…電車の中とか、並ぶ度に思うけど先輩は小さいなと思う。自分が大きいだけと言われるかもしれないが、運動部に入ってれば自分よりも大きな選手は五万といる。先輩の身長は女子的には普通なのかもしれない。小さくて可愛らしいという言葉は、失礼だろうか。
あの彼氏は、いつもこのくらいの目線で先輩を見ているのだろうかと、考えて嫌な気持ちになったので無理矢理頭から追い出した。
先輩が棚から1冊取り出して自分に見せてくる。高いところだったら取ろうと思っていたのに、ちょっと残念に思っているのは心の中だけに留めておいた。前に近づいてきた女子生徒のことを馬鹿にできない。
「はいこれ。この間ね、2冊目が出たんだけどこの1巻目しか入ってないんだよねー…。意外とうちの学校ケチなんだよ」
「そうなんですか?」
「うん、進路に関することとかやっぱ科目に関することとかは直ぐに置いてくれるんだけどさ。あーでも、申請しないと通らないってのも、あるかも」
「ああ、新刊リクエストとかやってますよね」
「それそれ。ちょっと頼んでみようかな」
やっぱりこの時代って複雑なんだなーって、読んでて思うよ。先輩はそう続けて中身を開き始めた。ページを捲くる先輩の手は、やっぱりいつも通り綺麗だった。今日はあかぎれもないし、爪は綺麗に整っていた。
ページが捲くられている間その漫画の絵柄を見ていたが、別に嫌いなものではなかった。このくらいなら普通に読めるし、薄いから直ぐに読み終わりそうだった。
ある程度いって、ページの進みが遅くなった。隣から覗き見しているが、訳のところだけが見える。
好きな人に対する想いが積もり積もって、今はもうこんなにも、愛おしいという気持ちを、歌ったものだった。
ああ、この和歌はそんな意味なのかと思いながら、先輩が口を開いた言葉にそんなことも吹き飛ばされた。
「私ね、この和歌が好き」
今の私の心情に、凄いよく似てるの。
そう言われて心臓が止まったかのように思えた。けれども鈍い痛みが走る。
つまり、それは。
「好きな人、いるんですか…」
確信めいたものを持ちながらも、聞いてしまう。絶望感で打ちのめされて何もしていないのに手が震えた。
訳から目が離せなかった。積もり積もって、恋心が深い想いになった、その和歌。先輩はそこのページから手を動かさなかった。訳が、いつまでも目に映る。
(……あれ、でも、…彼氏の、こと?)
訳を見ながら、先輩が今の心情に似ていると、言った言葉が重なる。
そうして、先輩が顔を上げた。先輩の顔を見た瞬間、何故だかハッとしてしまった。見ていたのがバレてしまうのが嫌だったのか、先輩の本音を聞きたくなかったのか。
「…うん、そう。コレが、『今』の私の気持ち」
真っ直ぐに目を見ながらそう凛とした声で言われた。
先輩の顔がよく見えるし、声もきちんと聞こえる。今はもう、訳は見えない。先輩の顔しか映してなかった。
(…今、の?)
今というのは、この、瞬間の、こと?
自分の都合の良いことを思い描いて、鷹は今までで一番顔が熱くなるのが解った。口が開かない。
視線を逸らしたいのに外せなかった。先輩が、ずっと、自分を見ながら話をする。
「『あれ』の返事は、コレで良い?」
頭が爆発したかのように真っ白になった。